と号令をすると生徒一同起立して恭《うやうや》しくお辞儀をする。そんな事からが妙に厭であった。そして自分にも碌《ろく》に分らないような事をいい加減に教えていると、次第々々に自分が墮落して行くような気がすると云っていたが、一年ばかりでとうとう止《よ》してしまった。そうして月給がなくなって困る/\とこぼしながらぶらぶらしていた。地方の中学にからりに好い口があって世話しようとした先輩があったが、田舎は厭だからと素気《すげ》なく断ってしまった。何故田舎が厭だと人が聞くと、田舎は厭じゃないが田舎の「先生」になってしまうのが厭だからといった。それで相変らず金を取らなくちゃ困るといってこぼしていた。その後一時新聞社へもはいっていた。半年くらい通って真面目に働いていたが、自分の骨折って書いたものが一度も紙上へ載らないので此方も出てしまった。この頃ではあちこちの翻訳物を引受けたり、少年雑誌の英文欄などを手伝って、どうかこうかはやっている。時々小説のような物を書いて雑誌へ出す事もあるが、兎角《とかく》の評判もないようである。自分の小説が何かに出ると、方々の雑誌屋の店先で小説月評といったような欄をあさって見る
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