りょう》でなかった。もしやだれかの袂《たもと》の中へでもはいっていやしないかと思って調べさせたがもちろんそんな所にはいなかった。なんだか不可思議な心持ちもした。小さな動物に大きな人間が翻弄《ほんろう》されたというような気もした。ここでもし徹底した科学的の方法で明白な論理を追跡して行きさえしたら、直ちにこのなんでもないミステリーは解けたであったろうが、少しはばかばかしくもなってきたので、この目前の、明らかに物理の方則と矛盾したような事実を、仮定的な「長押《なげし》の裏の穴」で「説明」し、ごまかしてしまった。もっとも科学の方面でさえもこれに似たような例がないとは言われない。明るみの矛盾を暗い穴へ押し込んで安心している事がないでもない。もしこれができなくなったら多くの学者は枕《まくら》を高くして眠られそうもない。人生の問題に無頓着《むとんちゃく》でいられない人々の間には猫《ねこ》いらずの妙な需要はますます多くなるかもしれない。
 この騒ぎが静まってやっと十分か二十分たったと思うころに、今度は台所で第二の騒ぎが始まった。人間の悲鳴だか動物のほえるのだかわからないような気味の悪い叫び声が子供らの
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