ずみさえもかからなくなってしまった捕鼠器《ねずみとり》は、ふたの落ちたまま台所の戸棚《とだな》の上にほうり上げられて、鈎《かぎ》につるした薩摩揚《さつまあ》げは干からびたせんべいのようにそりかえっていた。

       三

 六月中旬の事であった。ある日仕事をしていると子供が呼びに来た。猫《ねこ》をもらって来たから見に来いというのである。行って見るともうかなり生長した三毛猫である。おおぜいが車座になってこの新しい同棲者《どうせいしゃ》の一挙一動を好奇心に満たされて環視しているのであった。猫に関する常識のない私にはすべてただ珍しい事ばかりであった。妻が抱き上げて顋《あご》の下や耳のまわりをかいてやると、胸のあたりで物の沸騰するような音を立てた。猫が咽喉《のど》を鳴らすとか、ゴロゴロいうとかいう事は書物や人の話ではいくらでも知っていたが、実験するのは四十幾歳の今が始めてである。これが喜びを表わす兆候であるという事は始めての私にはすぐにはどうもふに落ちなかった。「この猫は肺でもわるいんじゃないか」と言ったらひどく笑われてしまった。実際今でも私にははたして咽喉が鳴っているのか肺の中が鳴って
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