なしに歩き出す。半町ばかりぶらぶら歩いて振り返ってもまだ出て来ぬから、また引っ返してもと来たとおり台所の横から縁側へまわってのぞいて見ると、妻が年がいもなく泣き伏しているのを美代がなだめている。あんまりだと言う。一人でどこへでもいらっしゃいと言う。まあともかくもと美代がすかしなだめて、やっと出かける事になる。実にいい天気だ。「人間の心が蒸発して霞《かすみ》になりそうな日だね」と言ったら、一|間《けん》ばかりあとを雪駄《せった》を引きずりながら、大儀そうについて来た妻は、エヽと気のない返事をして無理に笑顔《えがお》をこしらえる。この時始めて気がついたが、なるほど腹の帯の所が人並みよりだいぶ大きい。あるき方がよほど変だ。それでも当人は平気でくっついて来る。美代と二人でよこせばよかったと思いながら、無言で歩調を早める。植物園の門をはいってまっすぐに広いたらたら坂を上って左に折れる。穏やかな日光が広い園にいっぱいになって、花も緑もない地盤はさながら眠ったようである。温室の白塗りがキラキラするようでその前に二三人ふところ手をして窓から中をのぞく人影が見えるばかり、噴水も出ていぬ。睡蓮《すいれん》
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