く暮れてしまう。新年を迎える用意もしなければならぬが、何を買ってどうするものやらわからぬ。それでも美代が病人のさしずを聞いてそれに自分の意見を交ぜて一日忙しそうに働いていた。大晦日《おおみそか》の夜の十二時過ぎ、障子のあんまりひどく破れているのに気がついて、外套《がいとう》の頭巾《ずきん》をひっかぶり、皿《さら》一枚をさげて森川町《もりかわちょう》へ五厘の糊《のり》を買いに行ったりした。美代はこの夜三時過ぎまで結びごんにゃくをこしらえていた。
 世間はめでたいお正月になって、暖かい天気が続く。病人も少しずつよくなる。風のない日は縁側の日向《ひなた》へ出て来て、紙の折り鶴《づる》をいくつとなくこしらえてみたり、秘蔵の人形の着物を縫うてやったり、曇った寒い日は床の中で「黒髪」をひくくらいになった。そして時々心細い愚痴っぽい事を言っては余と美代を困らせる。妻はそのころもう身重になっていたので、この五月には初産《ういざん》という女の大難をひかえている。おまけに十九の大厄《たいやく》だと言う。美代が宿入りの夜など、木枯らしの音にまじる隣室のさびしい寝息を聞きながら机の前にすわって、ランプを見つめたまま、長い息をすることもあった。妻は医者の間に合いの気休めをすっかり信じて、全く一時的な気管の出血であったと思っていたらしい。そうでないと信じたくなかったのであろう。それでもどこにか不安な念が潜んでいると見えて、時々「ほんとう[#「ほんとう」に傍点]の肺病だって、なおらないときまった事はないのでしょうね」とこんな事をきいた事もある。またある時は「あなた、かくしているでしょう、きっとそうだ、あなたそうでしょう」とうるさく聞きながら、余の顔色を読もうとする、その祈るような気づかわしげな目づかいを見るのが苦しいから「ばかな、そんな事はないと言ったらない」と邪慳《じゃけん》な返事で打ち消してやる。それでも一時は満足する事ができたようであった。
 病気は少しずつよい。二月の初めには風呂《ふろ》にも入る、髪も結うようになった。車屋のばあさんなどは「もうスッカリ御全快だそうで」と、ひとりできめてしまって、そっとふところから勘定書きを出して「どうもたいへんに、お早く御全快で」と言う。医者の所へ行って聞くと、よいとも悪いとも言わず、「なにしろちょうど御姙娠中ですからね、この五月がよほどお大事ですよ」と
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