十年代の片田舎での出来事として考えるときに、この杏仁水の饗応《きょうおう》がはなはだオリジナルであり、ハイカラな現象であったような気がする。
 大学在学中に、学生のために無料診察を引受けていたいわゆる校医にK氏が居た。いたずら好きの学生達は彼に「杏仁水」という渾名《あだな》を奉っていた。理由は簡単なことで、いかなる病気にでもその処方に杏仁水の零点幾グラムかが加えられるというだけである。いつか診察を受けに行ったときに、先に来ていた一学生が貰った処方箋を見ながら「また、杏仁水ですか」と云ってニヤリとした。K氏は平然として「君等は杏仁水杏仁水と馬鹿にするが、杏仁水でも、人を殺そうと思えば殺せる」と云った。この場合では杏仁水が、陳腐なるものコンヴェンショナルなものの代表として現われたわけである。
 自分の五十年の生涯の記録の索引を繰って杏仁水の項を見ると、先ずこの二つの箇条が出て来る。
 近来杏仁水の匂のする水薬を飲まされた記憶はさっぱりない。久しく嗅《か》がなかった匂であったために、今このアイスクリームの匂の刺戟によって飛び出した追想の矢が一と飛びに三十年前へ飛び越したのかもしれない。
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