思議なことに、この一杯のアイスクリームの香味はその時の自分には何かしら清新にして予言的なもののような気がしたのである。

      四 橋の袂

 千倉で泊った宿屋の二階の床は道路と同平面にある。自分の部屋の前が橋の袂《たもと》に当っているので、夕方橋の上に涼みに来る人と相対して楽に話が出来るくらいである。
 宿の主人が一匹の子猫の頸をつまんでぶら下げながら橋の向う側の袂へ行ってぽいとそれをほうり出した。猫はあたかも何事も起らなかったかのようにうそうそと橋の欄干《らんかん》を嗅いでいた。
 女中に聞いてみると、この橋の袂へ猫を捨てに来る人が毎日のようにあって、それらの不幸なる孤児等が自然の径路でこの宿屋の台所に迷い込んで来るそうである。なるほど始めてここへ来たときから、この村に痩せた猫の数のはなはだ多いことに気が付いたくらいであるから、従って猫を捨てる人の多いのも当然であろうと思われた。
 猫を捨てに出た人が格好の捨場を求めて歩いて行くうちに一つの橋の袂に来たとすれば、その人はまたおそらく当然そこでその目的の行為を果たすに相違ない。これは何故であろうか。橋の袂は交通線上の一つの特異点
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