、虫は活溌にその嘴《くちばし》を動かしてアルコールを飲み込んだ。それがわれわれの眼にはさもさもうまそうに飲んでいるように見えた。虫の表情というものがあり得るかどうか知らないが、ただ机の上のアルコールの減じて行く速度がそういう感じを起させたのである。幾ミリグラムかの毒液を飲み終ると、もう石のように動かなくなってしまった。
 そこへ若いF君がやって来た。自分はF君に、この虫が再び甦《よみがえ》ると思うか、このままに死んでしまうと思うかと聞いた。もちろん自分にも分らなかったのである。F君は二〇プロセントは甦ると云い自分は百プロセント死ぬということにして、それで賭をするとしたら、どういう勘定になるかという問題を色々に議論した。
「午後の御茶」の時間に皆で集まったときに、自分は、この玉虫がいったいどこであの婦人の髪の毛に附着して、そうして電車の中に運ばれたであろうかという問題を出した。Y君は染井《そめい》の墓地からという説を出した。私は吉祥寺《きちじょうじ》ではないかとも云ってみた。
 この婦人には一人男の連れがあったが、電車ではずっと離れた向う側に腰をかけていた。後のその隣に空席が出来たときに
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