これだけの注釈をつけることも出来るのである。
二 玉虫
夏のある日の正午|駕籠町《かごまち》から上野行の電車に乗った。上富士前《かみふじまえ》の交叉点で乗込んだ人々の中に四十前後の色の黒い婦人が居た。自分の隣へ腰をかけると間もなく不思議な挙動をするのが自分の注意をひいた。ハンケチで首筋の辺をはたくようなことをしている。すると眼の下の床へぱたりと一疋の玉虫が落ちた。仰向《あおむ》きに泥だらけの床の上に落ちて、起き直ろうとして藻掻《もが》いているのである。しばらく見ていたが乗客のうちの誰もそれを拾い上げようとする人はなかった。自分はそっとこの甲虫をつまみ上げてハンケチで背中の泥を拭うていると、隣の女が「それは毒虫じゃありませんか」と聞いた。虫をハンケチにくるんでカクシに押し込んでから自分はチェスタートンの『ブラウン教父の秘密』の読みかけを読みつづけた。
研究所へ帰ってから思い出してハンケチを開けてみると、だいぶ苦しんだと見えて、糞《ふん》を沢山にひり散らした痕《あと》がハンケチに印銘されていた。手近にあったアルコールの数滴を机の上に垂らしてその上に玉虫の口をおっつけると
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