意義ではない。いつか新聞の演芸風聞録に、ある「頭の悪い」というので通っている名優の頭の悪い証拠として次のようなことを書いてあった。ある酷暑の日にその役者が「今日はだいぶ暑いと見える、観客席で扇の動き方が劇《はげ》しいようだ」と云ったというのである。これはしかしその役者の頭の悪い証拠でなくて良い方の破格の一例として取扱わるべきものであるかもしれない。暑い日の舞台の上は自然的の通風で案外涼しいかもしれないし、それでなくても、その役者が真面目に芝居をやっている限りその日が特に暑い日であるかないか分るはずがないのである。それは炭坑の底に働いている坑夫に、天気が晴れているのか暴《あ》れているのかが分らないのと同様である。それで扇の動き方でその日の暑さを知ったというのは、雁行《がんこう》の乱るるを見て伏兵を知った名将と同等以上であるのかもしれない。しかしおそらくこれはすべての役者に昔からよく知られたきわめて平凡な事実であるかもしれない。そうだとしてそれを今頃気が付いたとすれば、なるほどこれは頭の悪い証拠になるかもしれない。演芸風聞録の頭のいい記者はたぶんこの意味で書いたに相違ないのであるが、これに
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