のぞいただけで、もうことごとく天然を征服した気持ちになっているようである。科学者は落ち着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ、画家はろくに自然を見もしないでいたずらにきたならしい絵の具を塗り、思想家は周囲の人間すらよくも見ないでひとりぎめのイデオロギーを展開し、そうして大衆は自分の皮膚の色も見ないでこれに雷同し、そうして横文字のお題目を唱えている。しかしもう一歩科学が進めば事情はおそらく一変するであろう。その時にはわれわれはもう少し謙遜《けんそん》な心持ちで自然と人間を熟視し、そうして本気でまじめに落ち着いて自然と人間から物を教わる気になるであろう。そうなれば現在のいろいろなイズムの名によって呼ばれる盲目なるファナチシズムのあらしは収まってほんとうに科学的なユートピアの真如《しんにょ》の月をながめる宵《よい》が来るかもしれない。
 ソロモンの栄華も一輪の百合《ゆり》の花に及ばないという古い言葉が、今の自分には以前とは少しばかりちがった意味に聞き取られるのである。
[#地から3字上げ](昭和七年十月、中央公論)



底本:「寺田寅彦随筆集 第三巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店

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