ぶつかって行ったせいもあるであろう。実際二科院展の開会日に蒸し暑くなかったという記憶のないのは不思議である。大正十二年の開会日は朝ひどい驟雨《しゅうう》があって、それが晴れると蒸し暑くなって、竹《たけ》の台《だい》の二科会場で十一時五十八分の地震に出会ったのであった。そうして宅《うち》へ帰ったら瓦《かわら》が二三枚落ちて壁土が少しこぼれていたが、庭の葉鶏頭はおよそ天下に何事もなかったように真紅《しんく》の葉を紺碧《こんぺき》の空の光の下にかがやかしていたことであった。しかしその時刻にはもうあの恐ろしい前代未聞《ぜんだいみもん》の火事の渦巻《うずまき》が下町一帯に広がりつつあった。そうして生きながら焼かれる人々の叫喚の声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手ではからすうりの花が薄暮の垣根《かきね》に咲きそろっていつもの蛾《が》の群れはいつものようにせわしく蜜《みつ》をせせっているのであった。
 地震があればこわれるような家を建てて住まっていれば地震の時にこわれるのはあたりまえである、しかもその家が、火事を起こし蔓延《まんえん》させるに最適当な燃料でできていて、そ
前へ 次へ
全20ページ中16ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
寺田 寅彦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング