んなものを使わなくても、何か鋸屑《のこくず》でも固めたようなもので建築材料を作ってそれで建てたらいいだろうと思う。
美術展覧会に使われている建物もやはり間に合せである。この辺のものはみんな間に合せのものばかりのような気がして、どうも気持が悪い。
そういう心持をいだいて展覧会場へ這入《はい》った。
日本画が、とてもゆるゆる見る事の出来ないほど沢山《たくさん》にある。しかしゆるゆる見たいと思う絵は容易に見つかりそうもない。どの絵を見てもどういうものか私は興味が起らない。どうしても我慢して見て、強《し》いていいところを捜してやろうという気になれないのである。これらの絵全体から受ける感じは、丁度近頃の少年少女向けの絵雑誌から受けると全く同じようなものである。帝展の人気のある所因は事によるとここにあるかもしれないが、私にはどうも工合が悪く気持が悪い。名高い画家達のものを見ても、どうも私には面白味が分らない。こういう絵を見るよりも私はうちで複製の広重《ひろしげ》か江戸名所の絵でも一枚一枚見ている方が遥かに面白く気持が好いのである。
洋画の方へ行くと少し心持がちがう。ちょっと悪夢からさめたよ
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