ある探偵事件
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)尻尾《しっぽ》が長くて

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(例)[#地から1字上げ](昭和九年二月『大阪毎日新聞』)
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 数年前に「ボーヤ」と名づけた白毛の雄猫が病死してから以来しばらくわが家の縁側に猫というものの姿を見ない月日が流れた。先年、犬養内閣が成立したとおなじ日に一羽のローラーカナリヤが迷い込んで来たのを捕えて飼っているうち、ある朝ちょっとの不注意で逃がしてしまった。そのおなじ日の夕方帰宅して見ると茶の間の真中に一匹の真白な小猫が坐り込んですましてお化粧をしていた。家人に聞いてみると、どこからともなく入り込んで来て、そうして、すっかりわがもの顔に家中を歩き廻っているそうである。それが不思議なことには死んだボーヤの小さい時とほとんどそっくりでただ尻尾《しっぽ》が長くてその尻尾に雉毛《きじげ》の紋様があるだけの相違である。どこかの飼猫の子が捨てられたか迷って来たかであるに相違ないが、とにかくそのままに居着いてしまって「白」と命名された。珍しく鷹揚な猫で、ある日犬に追われて近所の家の塀と塀との間に遁げ込んだまま、一日そこにしゃがんでいたのを、やっと捜し出して連れて来たこともあった。スマラグド色の眼と石竹《せきちく》色の唇をもつこの雄猫の風貌にはどこかエキゾチックな趣がある。
 死んだ白猫の母は宅の飼猫で白に雉毛の斑点を多分にもっていたが、ことによると前の白猫と今度の「白」とは父親がおなじであるか、ことによると「白」が「ボーヤ」の子であるかもしれないと思われた。それについて思い当るのは、一と頃ときどき宅へ忍び込んで来る猫の中に一匹のアンゴラ種らしい立派な白猫があった、それが、もしかすると「白」の父親か祖父ではないかと思われるのであった。
 つい近ごろになってある新聞にいろいろなペットの話が連載されているうちに知名の某家の猫のことが出ていて、その三匹の猫の写真が掲載されていた。そのうちの一匹がどうも前述のいわゆるアンゴラに似ているように思われた。これだけでは何も問題にはならないが、しかしその某家と同姓の家が宅から二、三町のところにあるから、そこで一つの問題が成立ったのである。その問題は型式的《フォーマル》には刑事探偵が偶《たま》には出くわす問題とおなじ
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