ようなものかと思われた。
 問題を分析するとつぎのようになる。
 問題。(一)宅の近所のA家は新聞所載のA家と同一か。(二)同一ならばその家の猫Bと、宅の庭で見かけた猫Cと同一か。(三)そうだとすれば宅の白猫DはそのB=C猫の血族か。
 これに対して与えられた事実与件《データ》は(1)Aという名前の一致。ただし近所のA家に西洋猫がいるかどうかは不明。(2)新聞の写真のB猫とC猫との肖似。ただし記憶だけで他に実証なし。(3)BCとDとの幾分の肖似。(4)新聞記事によると、B猫が不良で夜遊び昼遊びをして困るという飼主夫人の証言。これだけである。この(1)(2)(3)(4)いずれも当面の問題に対しては実に貧弱なデータで、これだけからなんらの確からしい結論も導き出せないことは科学者を待たずとも明白なことである。しかし、われわれの「人情」と「いわゆる常識」はこの(1)(2)(3)(4)から(一)(二)(三)を肯定しようとする強い誘惑を醸成する。
 その後、出入りの魚屋の証言によって近所のA家にもやはり白い洋種の猫がいるという一つの新しい有力なデータを加えることは出来た。しかし、東京中で西洋猫を飼っているA姓の人が何人あるか不明であるから(一)の問題はやはり不明である。ただ、近所のA家の猫と宅の猫との血族関係に関しては幾分のプロバビリチが出来ていた訳である。
 下手の探偵小説には(1)(2)(3)(4)だけから(一)(二)(三)を誘導するようなのがありはしないか。おなじような論理の錯誤から実際の刑事事件について無実の罪が成立する恐れが万一ありはしないか。そんなことを考えさせられるのであった。
 近ごろ、某大官が、十年前に、六百年昔の逆賊を弁護したことがあったために、現職を辞するのやむなきに立ち至ったという事件が新聞紙上を賑わした。なるほど、十年前の甲某が今日の甲某と同一人だということについては確実な証人が無数にある。従ってこの問題と上述の「猫の場合」とは全然何の関係もない別種類の事柄である。何の関係もないことであるにもかかわらず、ふとした錯覚で何かしら関係があるような気がしたのは、たしかに自分の頭の迷誤《アベレーション》である。それで、これも不思議な錯覚の一例として後日の参考のためについでに書添えておくこととする。
[#地から1字上げ](昭和九年二月『大阪毎日新聞』)




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