あひると猿
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)信州《しんしゅう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)夏|信州《しんしゅう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和九年十二月、文学)
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 去年の夏|信州《しんしゅう》沓掛《くつかけ》駅に近い湯川《ゆかわ》の上流に沿うた谷あいの星野温泉《ほしのおんせん》に前後二回合わせて二週間ばかりを全く日常生活の煩《わずら》いから免れて閑静に暮らしたのが、健康にも精神にも目に見えてよい効果があったように思われるので、ことしの夏も奮発して出かけて行った。
 去年と同じ家のベランダに出て、軒にかぶさる厚朴《ほおのき》の広葉を見上げ、屋前に広がる池の静かな水面を見おろしたときに、去年の夏の記憶がほんの二三日前のことであったようによみがえって来た。十か月以上の月日がその間に経過したとはどうしても思われなかった。信州における自分というものが、東京の自分のほかにもう一つあって、それがこの一年の間眠っていて、それが今ひょっくり目をさましたのだというような気
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