あひると猿
寺田寅彦

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)信州《しんしゅう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)夏|信州《しんしゅう》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から3字上げ](昭和九年十二月、文学)
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 去年の夏|信州《しんしゅう》沓掛《くつかけ》駅に近い湯川《ゆかわ》の上流に沿うた谷あいの星野温泉《ほしのおんせん》に前後二回合わせて二週間ばかりを全く日常生活の煩《わずら》いから免れて閑静に暮らしたのが、健康にも精神にも目に見えてよい効果があったように思われるので、ことしの夏も奮発して出かけて行った。
 去年と同じ家のベランダに出て、軒にかぶさる厚朴《ほおのき》の広葉を見上げ、屋前に広がる池の静かな水面を見おろしたときに、去年の夏の記憶がほんの二三日前のことであったようによみがえって来た。十か月以上の月日がその間に経過したとはどうしても思われなかった。信州における自分というものが、東京の自分のほかにもう一つあって、それがこの一年の間眠っていて、それが今ひょっくり目をさましたのだというような気がするのであった。
 このように、すべてのものが去年とそっくりそのままのようであるが、しばらく見ているとまた少しずついろいろの相違が目について来るのであった。たとえば池のみぎわから水面におおいかぶさるように茂った見知らぬ木のあることは知っていたが、それに去年は見なかった珍しい十字形の白い花が咲いている。それが日比谷公園《ひびやこうえん》の一角に、英国より寄贈されたものだという説明の札をつけて植えてある「花水木《はなみずき》」というのと少なくも花だけはよく似ているようである。しかし植物図鑑で捜してみるとこれは「やまぼうし」一名「やまぐわ」(Cornus Kousa, Buerg.)というものに相当するらしい。
 とにかく、わずかな季節の差違で、去年はなかったものが、今突然目の前に出現したように思われるのであった。不注意なわれわれ素人《しろうと》には花のない見知らぬ樹木はだいたい針葉樹と扁葉樹《へんようじゅ》との二色《ふたいろ》ぐらいか、せいぜいで十種二十種にしか区別ができないのに、花が咲いて見るとそこに何か新しい別物が生まれたかのように感じるものらしい。無理な類推ではあるが人間の個性も、
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