ろあることに気がつく。
 科学の研究に従事するものがある研究題目を捕えてその研究に取りかかる。何かしらある見当をつけて、こうすればこうなるだろうと思って実験を始める。その場合に、もし研究者の自我がその心眼の明を曇らせるようなことがあると、とんでもない失敗をする恐れがある。そうでない結果をそうだと見誤ったり、あるいは期待した点はそのとおりであっても、それだけでなくほかにいろいろもっと重大な事実が眼前に歴然と出現していても、それには全く盲目であって、そのために意外な誤った結論に陥るという危険が往々ある。それで科学者は眼前に現われる現象に対して言わば赤子のごとき無私無我の心をもっていなければならない。止水明鏡のごとくにあらゆるものの姿をその有りのままに写すことができなければならない。武芸の達人が夜半の途上で後ろから突然切りかけられてもひらりと身をかわすことができる、それと同じような心の態度を保つことができなくては、瞬時の間に現われて消えるような機微の現象を発見することは不可能である。それには心に私がなく、言わば「心の手首」が自由に柔らかく弾性的であることが必要なのではないか。
 だれであった
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