るのである。かくの如き人々は或る一人にその理想の一方面を発見し、又或る他の人にその理想の他面を発見する人々である。又ある人々は新なる精神の伴侶を発見する時は恰かも且て起らざりしが如く彼等の以前経来つた経験を悉く忘れ去るのである。或はまた一度深き恋愛に誤まられたる後最早進んで新なる経験を味はんとする能力を失ふが如き人々もある。
『恋愛と結婚』は新なる献身の念を有《も》つて人生の賜物を保護せんと決心せる若き人々に与へられたのであつた。故にそれ等の人々は道徳的法則が石碑の上に書かれたるに非ずして血肉の上に書かれたるものであるといふことを知つてゐる。而して彼等は恋愛中に発見する高尚なる幸福は人生に対する高貴なる職務にして神に仕ふるより敬虔の念に於て遙かに優れたるものであると感じてゐる。併しながら何処に恋愛の自由が終り新代の権能が始まるかは又彼等の決定しなければならない問題である。
 生理的にも心理的にも最上の子孫を作る種々なる条件に対して吾人の智識は未だ極めて乏しいのである。故に恋愛理想主義者の信仰はかの進化の事実を無視せずと称する人々に比して更らに大なる社会的譲歩を得ることは出来ないのである
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