と灰色の天地の沈黙が、みるみる私の前に緊張してくる。けれど、やがてそれもいつの間にか消え去った影像と同じく、その影像を描いたセンティメントが消えてしまう頃には、やはりもとの何の生気もない荒涼とした景色であった。しかし、私はそれで充分だ。僅かに頭をもたげた私のセンティメントは、本当のものを見せてくれたのだ。
「何しに来た?」
 もう私はそういってとがめられることはない。一人で来たら私のセンティメントはもっと長く私を捕えたろう。もっと惨めに私を圧迫したろう。だが、もう充分だ。これ以上に私は何を感ずる必要があろう。私はしっかり山岡の手につかまった。
 ようやくに、目指すS青年の家を囲む木立がすぐ右手に近づいた。木立の中の藁屋根がはっきり見え出した時には、沼の中の景色もやや違ってきていた。木立はまだ他に二つ三つと飛び飛びにあった。蘆間の其処此処に真黒な土が珍らしく小高く盛り上げられて、青い麦の芽や、菜の葉などが、生々と培われてある。
 道の曲り角まで来ると、先に歩いていた連れの男が、遠くから、そこから行けというように手を動かしている。見ると沼の中に降りる細い道がついている。土手の下まで降りて見
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