自分が性と云ふ最も自然な健康な本能によつて限りなくおびやかされ、反抗せられ、蹂躙《じゅうりん》せられてゐることだ。結婚によつて生ずる不幸、悲惨、失望並に生理的苦痛の大部分はかの立派な徳として讚美せられてゐる性の事柄に関する罪悪的無智に帰すると云つても差支はなからう。この悲しむべき事実の為め多くの家庭が破滅に終つたと私が云ふのは決して誇張ではないのだ。
けれど、若《も》し女が充分自由に成長して国家若しくは教会の裁可なしに性の秘密を学ぶなら、彼女はまつたく『善良』な男の妻となるに不適当だとして罪を宣告されるだらう、男の善良と云ふのは空ツぽな頭と金が沢山にあると云ふに過ぎない。生命と情熱とに充ち、健康で成熟した婦人が自然の要求を否定し自分の最も痛切な欲求を抑制し、その健康を覆がへし、精神を破り、夢想を妨げ、性的経験の深さと光栄とを棄てて、『善良』な男が妻として彼女を連れに来るまで待つと云ふこと以上に一層残酷なことがあるだらうか? 結婚とは確かにこれなのだ。このやうな組み立てが失敗に終らないで何に終るだらう? これがかなり重要な結婚の一要素で結婚を恋愛から区別せしむるものなのである。
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