はどんな結合も失敗に終るのである。
 悉ゆる社会的虚偽の憎悪者ヘンリツク・イブセンは恐らくこの大真理を実現しようとした最初の人であつた。ノラが彼女の夫を棄てる――それは愚劣な批評家が云ふやうに彼女が自分の責任に倦怠を来たし、婦人の権力の必要を感じたからではなく、彼女が八年間見ず知らずの他人と生活して子供を生んだと云ふことを自覚したからだ。二人のあかの他人が一生親密の関係を造ると云ふより以上に陋劣な堕落したことがあり得やうか。女は夫の収入以外に夫に就いては何事をも知る必要がないのだ。また男が女に対する智識と云つては彼女が御気に召す顔付きをしてゐると云ふほか何もないのだ。私等は未だ女には霊魂がなく、彼女は単に男の附属品で便宜上自分自身の影法師を恐がつてゐる程強い男の肋骨から造られたものだと云ふ神学的の神話以上に進んではゐないのだ。
 恐らく女が劣等だと云ふことに就ては女が作られた材料の哀れな性質が責任を持つことであらう。兎に角女には霊魂がない――女に就て知るべき何物があるのだ? のみならず、女に霊魂の分子が少なければ少ない程妻としての価値が大きくなり、更に容易に夫に同化し得ると云ふのだ。永い間|所謂《いわゆる》結婚制度なるものを保存したのはこの男尊説に対する奴隷的黙従である、今や女は真に主人の恩恵から離れた存在物として自覚し初めた。そして神聖な結婚制度は次第に顛覆されつつある。そしてどんな感傷的悲哀もそれをとどめることは出来ない。
 一般の娘等は大抵幼少から結婚が彼女の最終目的であると語られる。だから彼女の訓練と教育とはその目的に向つて導かれなければならない。口のきけない動物が屠殺の為めに肥らせられるやうに、彼女はその為めに用意される。けれど、可笑《おか》しいことには、彼女が妻や母としての職務に就て知ることを許されてゐるのは、普通の工人がその職に関してよりはずつと僅少である。立派な少女が結婚関係に就て知るのは無作法で野卑だと云ふのだ。オゝ、その尊厳の矛盾の為め、結婚誓約を必然に不潔なものから最も純潔な最も神聖な取り極めに転じて、何人も敢へてそれを尋ね、或は批判することを許さない。けれどそれが確かに結婚主張者の一般の態度である。未来の妻と母とは性と云ふ争先的範囲に於ける彼女の唯一の財産に関して全く無智にされてゐる。かくして彼女は或男と一生の関係に這入り込んで、発見するのは
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