自分が性と云ふ最も自然な健康な本能によつて限りなくおびやかされ、反抗せられ、蹂躙《じゅうりん》せられてゐることだ。結婚によつて生ずる不幸、悲惨、失望並に生理的苦痛の大部分はかの立派な徳として讚美せられてゐる性の事柄に関する罪悪的無智に帰すると云つても差支はなからう。この悲しむべき事実の為め多くの家庭が破滅に終つたと私が云ふのは決して誇張ではないのだ。
けれど、若《も》し女が充分自由に成長して国家若しくは教会の裁可なしに性の秘密を学ぶなら、彼女はまつたく『善良』な男の妻となるに不適当だとして罪を宣告されるだらう、男の善良と云ふのは空ツぽな頭と金が沢山にあると云ふに過ぎない。生命と情熱とに充ち、健康で成熟した婦人が自然の要求を否定し自分の最も痛切な欲求を抑制し、その健康を覆がへし、精神を破り、夢想を妨げ、性的経験の深さと光栄とを棄てて、『善良』な男が妻として彼女を連れに来るまで待つと云ふこと以上に一層残酷なことがあるだらうか? 結婚とは確かにこれなのだ。このやうな組み立てが失敗に終らないで何に終るだらう? これがかなり重要な結婚の一要素で結婚を恋愛から区別せしむるものなのである。
今は実際的時代である。ロメオとジユリエツトがかれ等の両親の憤怒を冒して恋し合ひ、グレチエンが恋愛の為め彼女の隣人の噂さに自らをさらした時代は過ぎた。たとへ稀れな場合に若い人等が贅沢なローマンスに耽けるとも、かれ等は年長者の監視を受け、かれ等が『性根づく』まで訓練せられ、搗《つ》き砕《くだ》かれる。
少女に注ぎ込まれる教訓は男がどのやうに彼女の愛を呼び起したかではなく、寧ろ『いくら』かと云ふことにある。男が生活することが出来るか? 彼は妻を扶養することが出来るか? これが実際的|亜米利加《アメリカ》生活の重要な唯一の神だ。そして結婚を正当と認める唯一の条件なのだ。これが次第にあらゆる少女の思想に浸透する。彼女の夢は月光と接吻でもなく、笑と涙とでもない。彼女は買物まわりと帳場とを夢見る。この霊性の貧弱と野卑とが結婚制度に固有な要素である。国家と教会とは他に何等の理想をも承認しない。何故なら国家と教会とは単に男女を支配する必要上の手段に過ぎないからである。
勿論恋愛を金銭以上に考へてゐる人達がないことはない。特に此事は経済的必要が余儀なく独立を促した階級の人々にとつて真である。かの巨大な原動
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