また、食べ残したむし返しの御飯や、食べ残しものを、近所の安宿の泊客を連れてきてはほどこし[#「ほどこし」に傍点]をしてやるのです。彼は狭い台所に胡坐をかいて、汚い乞食のような人達に、私共は恥ずかしくて犬にしか出してやれないようなものを食べさせながら、彼は貧乏人の味方の主義を「説いて」聞かすのです。他の同志や私などが、あまりひどい御馳走を施してその上ありがた迷惑なお説教を聞かしたりすることを批難しましても、彼は決してへこみはしませんでした。そしてその近所の二三軒ある安宿を訪問して、みんなにお世辞をつかわれてすっかりおさまっているのでした。その安宿にいる人達というのは、血気盛んな若い男なんぞは、薬にしたくもいないで、みんなもうよぼよぼの、たよるところのない老人達ばかりでした。
 当時私共の家には四五人の同志がいて仕事をしていましたけれど、私共の経済は非常に苦しかったのでした。雑誌も出るには出ましたが、それで大勢の人が食べてゆくことなどは到底できないのでした。広告料や、Oの二三の本の印税や、あちこちから受ける補助やで、やっとどうにかOの留守中を凌いでいったのでした。その経済状態はみんなによく
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