兄弟姉妹の中に送るにあたつて、幾分なりとその人々の覚醒の糧にならんことを希望してやまない。『解放』と云ふのは髪の結ひ方をちがへるのではない、マントを着て歩くことでもない、まして『五色の酒』とかを飲むことではなほない。然し新しき服装を笑ひ、女が酒を飲むことを恐ろしき罪悪であるかの如く罵つて高尚がつたり、上品ぶつたりしてゐる人等には愈々《いよいよ》解放など云ふことはわかりさうもない。服装は個性ある者には趣味の表現であり、俗衆には流行である。酒は各人の単なる嗜好に過ぎない。いづれも真の解放とはなんのかかはりもない。『解放は女子をして最も真なる意味に於て人たらしめなければならない。肯定と活動とを切に欲求する女性中のあらゆるものがその完全な発想を得なければならない。全ての人工的障碍が打破せられなければならない。偉《おおい》なる自由に向ふ大道に数世紀の間横たはつてゐる服従と奴隷の足跡が払拭せられなければならない。』

 エレン・ケイに就いては自分は彼女の思想の中に、自分達と同じ系統をもつた意見を発見し彼女の議論に共鳴する或者を見出すことが出来る。彼女の思想に興味を持つことは出来るけれども自分にはそれ以上に彼女に親しみを持つことは出来ない。思想の上には自分は彼女の為めに可なり得たものがあると思ふ。併《しか》し、より以上の興味をもつて彼女に注意をむけることの出来ないのは何故だらう。ゴルドマンに於けるが如き親しみを感じないのは何故だらう。自分は彼女に就いて云ふ何物をも持たない。唯だ自分は前にも云つたとほり彼女の主張が自分達のそれに共通であるといふ点に興味を持つて、それを紹介したに過ぎない。そしてこれ以上の言葉をエレン・ケイについて費やすことを好まない。彼女に就いては、下手な自分の言葉で云ふよりもより多く彼女を知つた人が沢山にあるから。近くこの書の出づるに先立つて本間久雄氏の手によつて彼女の多くの論文が訳されてゐる。エレン・ケイについて、なを多くを知りたい方々は、その『婦人と道徳』を御覧になるがよろしい。
 ゴルドマンに就いて自分は沢山の言ひたいことを持つてゐる。自分は彼女の小伝を読むにあたつて自分のもつた大いなる興味と親しみと熱烈な或る同情と憧憬を集注させて、いろいろな深いところから来る感激にむせびつゝ読んだ。『何と云ふすばらしい、そして生甲斐のある彼女の生涯だらう!』自分はある感慨
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