。両親の傍で成長し得ない子供の不幸は、私自身がすでによく知りぬいている事でした。自分の親しく通ってきた苦痛不幸の道を再び子供に歩かせるということは、どんなに大きな苦痛であるかわかりません。たとえ不断、自分自身について深く考えたときに、私のその不幸が決して本当の不幸でなく、そしてまた苦しんだことが無駄でないということ、そういう境遇によって、いくらか自分の歩く道にも相違が出来たこと、その他いろいろな事を考えて、かえってその方が私には幸福だったと思うことは出来ますが、そして子供の上にも同じ考えは持ちたいと思いますが、しかし母親としての本能的な愛の前には、その理屈は決して無条件では通りませんでした。私は子供のために、すべてを忍ぼうとしました。――当然母親の考えなければならない、そして誰でもがぶつかって決心するように、私も自然にそこにゆきつきました。私は子供に対する愛が今度は大事な私の拠り処となったのです。そしてその事をもう決して前のように軽蔑しなくなりました。私は一生懸命に子供の中に自分を見出だそうとしました。けれどもこれにも、私はすぐに絶望しなければなりませんでした。子供を完全に育てるという
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