「別居」について
伊藤野枝

−−
【テキスト中に現れる記号について】

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「せんさく」に傍点]
−−

     一

 私と、辻との間に「別居」という話が持ち出されたのは、この頃の事ではないのです。ちょうど、一年あまりになります。
 私の今までの五年間の家庭生活というものは、私自身にとっては非常に無理なものでございました。それは私達二人きりで作った家庭でなかったということをいえば、本当に世間並な、因習と情実をもった「家」だということを、解って頂けることと存じます。たとえ家族の人達は、どれほど寛大でありましょうとも、どこまでも因習の上に建てられた家族制度というものを越えない範囲での寛大は、私には――他の多くの類した家の人たちに比べて見ますときには、その事に向っては常に感謝してましたが――やはり忍従を強いました。で私は、いつでも家庭における自分というものについては、充分な不自由も不満も感じながら、自分だけの気持を忍ぶということのために他の人々の感情の上に何のすさびも見なくてすむということを考えては、不快な時間になるべく出遇わないようにしたいという私の心弱さから、いつでも黙って忍びました。そして、私の家庭はかなり平和な日を送ることができました。そうして、また、そういう安易な日が続くことは自分にも慣れてきて、たいていはその平和に油断をしていました。けれども些細なことでも、ちょっと隙き間がありますと、種々な不平が一時に頭をもたげ出しました。けれども私は、いつでもそういう場合にはすぐに避難をする処をもっておりました。それは、辻に対する愛でした。私はいつでもそこに逃げ込みました。そうして、私のその避難所が世間並みの安易な「あきらめ」などのような弱いものでなく、充分に信をおく事のできるしっかりしたものであることを誇りにしていました。
 しかしちょうど一年あまり前に、私のいちばん大事なその信は、無造作に奪われてしまいました。いくら躍起になっても一度失くなったものは再びけっして帰ってはきませんでした。そしてその事は、私にとってはたいへんな打撃でした。けれども私は、その打撃によって自分をどう処置するかということを考えなければなりませんでした。そうして、私は非常な苦痛を忍んだ後に、出来るだけ完全な自分の道を歩こうという決心を
次へ
全8ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
伊藤 野枝 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング