得ました。そしてその時初めて、五年間どのような事があっても唯の一度も口にしたことのない「別居」を申し出ました。しかし、この要求はいろいろな情実の下に遂げられませんでした。そうして、その情実を無理に退けて進むには、私はあまりに多くの未練と愛着を過去の生活に持ち過ぎました。二人が相愛の生活を遂げるために払った価が、まだ余程高価なものに思われました。そうしたことを考え始めますと、押し切って自分の決心を断行するという勇気はどうしても出てきませんでした。
 けれども、その時から私の深い苦悶が始まりました。かつて、私達が軽蔑した状態に自分達がならねばならないということは何という情ないことでしょう。自分をも他人をも欺むくことの出来ない二人が、お互いに、自分達二人を結びつけるものに絶望しながら、それを自覚しながら、過去に対する未練や、現在の生活にからみついた情実や、単純な肉体に対する執着等によって、なお今まで通りの関係を続けようとする、その醜い感情を脱する事の出来ない自分を嘲りながら、それに引きずられて、どうすることも出来ないというのが情ない事でなくて何でしょう。
 さらにもう一つの事は子供の事でした。両親の傍で成長し得ない子供の不幸は、私自身がすでによく知りぬいている事でした。自分の親しく通ってきた苦痛不幸の道を再び子供に歩かせるということは、どんなに大きな苦痛であるかわかりません。たとえ不断、自分自身について深く考えたときに、私のその不幸が決して本当の不幸でなく、そしてまた苦しんだことが無駄でないということ、そういう境遇によって、いくらか自分の歩く道にも相違が出来たこと、その他いろいろな事を考えて、かえってその方が私には幸福だったと思うことは出来ますが、そして子供の上にも同じ考えは持ちたいと思いますが、しかし母親としての本能的な愛の前には、その理屈は決して無条件では通りませんでした。私は子供のために、すべてを忍ぼうとしました。――当然母親の考えなければならない、そして誰でもがぶつかって決心するように、私も自然にそこにゆきつきました。私は子供に対する愛が今度は大事な私の拠り処となったのです。そしてその事をもう決して前のように軽蔑しなくなりました。私は一生懸命に子供の中に自分を見出だそうとしました。けれどもこれにも、私はすぐに絶望しなければなりませんでした。子供を完全に育てるという
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