る病人で長く臥蓐に余儀なくさるゝ場合に於て、其の慰安となり其の消悶の具となるものは唯読書あるのみだ。平素繁劇の人は斯る場合で無ければ書物に親しむ機会が無い。さるが故に此種の人は病中を楽天地として喜ぶものもある。病中は接客の煩もなく、何等清閑を妨げるものもないから、羈旅以上に読書に耽けることが出来る。多くの場合精神が沈静して自然サブゼクテーヴになつてゐるから、静思熟考も出来、随つて読書に依つて受け入れることも多いので、読書人はたまさか微恙に罹りたいと思ふことすらある。
(七)僧院は一種清寂の境である。仏像を拝し、弁香を嗅ぎ、梵鐘を聞く処におのづから超脱の趣がある。堂宇が高く広く、樹木は欝翠、市塵に遠かり、俗音を絶つてゐるから、読書には尤も此境が適する。古来多くの賢哲が僧院より輩出してゐるのは偶然でない。是の如き処に聖典を読み禅学を修め哲理を講ずるは最もふさはしいとされるが、必らずしも哲学研究の擅場とするにも及ぶまい。飛び離れた世俗の書を何くれとなく読むにも此境地が適してゐる。
(八)林泉も亦読書の一境である。人里遠き山や林に市塵を避け、侘びた草庵を結んだり、或は贅沢を極めた風景地の別荘な
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