なく怖くなり、何とかして均衡を保たうとして、本を積み重ねてみたり、その上ヘゴチヤゴチヤと置いてみたりしたが、それでも防げず、たまりかねて飛び出したのだといふ事情は、自分でもうまく言へなかつたし、言つても判つて貰へないと思つたのだ。
 その晩、圭介は寿枝から話をきいて、早発性痴呆症だと苦り切つた。

 中学校へはいつた年の夏、兄の修一がなに思つたのか楢雄を家の近くの香櫨園《かうろゑん》の海岸へ連れ出して、お前ももう中学生だから教へてやるがと、ジロリと楢雄の顔を覗き込みながら、いきなり、
「俺たちは妾《めかけ》の子やぞ。」
 と、言つた。ふと声がかすれ、しかしそのためかへつて凄《すご》んで聴えた筈だがと、修一は思つたが、楢雄はぼそんとして、
「妾て何やねん?」
 効果をねらつて、わざと黄昏刻《たそがれどき》の海岸を選んだ修一は、すつかり拍子抜《ひやうしぬ》けしてしまつた。
 修一は物心つき、次第に勘付いてゐるのだ。型を押したやうな父の週末の帰宅は、蘆屋で病院を経営するかたはら、大阪の大学病院へも出て忙しいためだとの母親の言葉は、尤《もつと》もらしかつたが、修一は欺《だま》されなかつた。香櫨
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