歯がカチカチと鳴り、女中はガタガタと醜悪にふるへてゐた。生臭い口臭をかぎながら、ぺたりとその場に坐らせて、
「君、寒いのンか。」
 さう言つたまでは覚えてゐたが、あとは無我夢中になつて、好奇心と動物的な感覚が体をしびらしてしまつたが、女中は足を固くして、
「それだけは堪忍して、なツ、坊つちやん、それだけは堪忍して。あゝ。」
 身もだえしながら、キンキンした声で叫び、ふと瞠《みひら》いた眼が白かつた。楢雄ははつと我に帰り、草の上へついた手の力ではね起きると、物も言はず、うしろも向かず、あぶない所だつた、俺はもう少しで罪を犯すところだつたと、心の中で叫びながら、真青になつて逃げ去つた。それだけは堪忍して、あツ、坊つちやんそれだけは堪忍して。あゝ。あゝといふその声は逃げて行く楢雄の耳の奥にいつまでも残り、身もだえしてゐた女の固い肢態は瞼《まぶた》に焼きつき、追はれるやうに走つたが、松林を抜けて海岸の砂の上へ出た途端、妾になるといふことはあの辛さを辛抱することだつたのかといふ考へが、元来が極端に走り易い楢雄の、走つてゐる頭をだしぬけにかすめた。楢雄は家へ駈け戻ると、
「母さん、なんぜ妾な
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