毛はむくむく頼もしげに見え、しかし何だか随分父親に似てゐると思つた。
 その夏の休暇が済み、二学期の始業式に大阪の市内にある中学校へ行くと、兄弟二人とも村瀬の姓が突然中那尾に変つてゐた。楢雄はわけが判らず、けつたいな名になりやがつたと、ケツケツと笑つてゐたが、修一はさては籍がはいつたのかと苦笑し、友達の手前は養子に行つたのだと言ひつくらはうと咄嗟《とつさ》の智慧《ちゑ》をめぐらした。しかし、兄弟二人そろつて養子に行くといふのも変な話だと、さすがにうろたへもしてゐた。帰ると、赤飯と鯛《たひ》の焼物が出て、母は泣いてゐた。
 寿枝は岡山の病院で看護婦をしてゐた頃、同じ病院で医員をしてゐた圭介のために女医になる一生の希望をいきなり失つた。妊娠させられたのだ。圭介には月並みに妻子があつた。生れた子は修学第一の意味で圭介が修一と名をつけた。圭介はそんな親心を示したことは示したが、狭い土地ですぐ噂が立つてみると、折柄大阪の病院から招聘《せうへい》されるのは寿枝を置き去りにする好機会であつた。その通りにした。寿枝は修一を背負つてあとを追ひ、詰め寄ると、圭介もいやとはいへず、香櫨園に一戸を構へてやつた。そして十何年間、その間に楢雄も生れて、今日まで続いて来たが、圭介はなぜか二人の子を入籍しなかつた。本妻が承知しないからと、半分本当のことを言つて、寿枝の要求を突つ放して来たのだ。しかし、寿枝は諦めず、圭介を責めぬいて、そして今日のこの喜びだつた。
 と、そんな事情は無論きかされなかつた故自分は長女、父上は長男、だから今日まで戸籍のことが巧く行かなかつたのだと、寿技はこんな嘘を考へた。
「へえ? さうですか。」
 話半分で、修一は大きな頭を二三度右に振り左に振り、二階へ上つてしまつた。あとに楢雄が残り、かねがねお前は食事の時間が永すぎると父の小言の通り、もぐもぐ口を動かせてゐた最中ゆゑ、母の喜びを一身に背負つた。しかしそれも当然だと、寿枝は、
「兄さんは別として、お前はよくよく父上に感謝しなければいけませんよ。」
 その証拠に、最初圭介は楢雄の入籍は反対だつたのだと、うかうか本当のことを言つた。
「御馳走《ごつと》さん。」
 それだけは言つて、楢雄はバタバタと二階へ上ると蠅たたきでそこら中はたき廻つた。翌日、一年F組の教室で、楢雄は教科書のかげで実におびただしい数の蠅を弄《もてあそ》ん
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