なく怖くなり、何とかして均衡を保たうとして、本を積み重ねてみたり、その上ヘゴチヤゴチヤと置いてみたりしたが、それでも防げず、たまりかねて飛び出したのだといふ事情は、自分でもうまく言へなかつたし、言つても判つて貰へないと思つたのだ。
 その晩、圭介は寿枝から話をきいて、早発性痴呆症だと苦り切つた。

 中学校へはいつた年の夏、兄の修一がなに思つたのか楢雄を家の近くの香櫨園《かうろゑん》の海岸へ連れ出して、お前ももう中学生だから教へてやるがと、ジロリと楢雄の顔を覗き込みながら、いきなり、
「俺たちは妾《めかけ》の子やぞ。」
 と、言つた。ふと声がかすれ、しかしそのためかへつて凄《すご》んで聴えた筈だがと、修一は思つたが、楢雄はぼそんとして、
「妾て何やねん?」
 効果をねらつて、わざと黄昏刻《たそがれどき》の海岸を選んだ修一は、すつかり拍子抜《ひやうしぬ》けしてしまつた。
 修一は物心つき、次第に勘付いてゐるのだ。型を押したやうな父の週末の帰宅は、蘆屋で病院を経営するかたはら、大阪の大学病院へも出て忙しいためだとの母親の言葉は、尤《もつと》もらしかつたが、修一は欺《だま》されなかつた。香櫨園の自宅から蘆屋まで歩いて一時間も掛らぬのに、つひぞ父の病院とやらを見せて貰つたこともなく、おまけに蘆屋中を調べてみても自分と同じ村瀬の姓の病院はない。しかも父の帰宅中は仔細ありげなひそひそ話、時には母の泣声、父の呶声《どせい》が聴かれるなど、思ひ合はせてみると蘆屋の方が本宅で香櫨園のわが家は妾宅だと、はつきり嗅ぎつけた途端、まづ生理的に不愉快になり、前途が真つ暗になつたやうな気持に悩まされたが、わづかに弟の楢雄を掴へて、寝耳に水の話を知らせてやるといふ残酷めいた期待に心慰まつてゐたのだつた。
 それだけに楢雄のそんな態度は修一を失望させた。そのため修一の話は一層誇張された。さすがの楢雄も急に顔色が青白んで来た。うなだれてゐる楢雄の顔をひよいと覗くと、眼鏡の奥が光つて、効果はやはりテキ面だつた。やがて眼鏡を外して上衣のポケットに入れ、するする落ちる涙を短い指の先でこすり、こするのだつた。ふと修一は不憫《ふびん》になつて、
「泣くな。妾の子らしう生きて行かう。」
 これは半分自分にも言ひ聴かせて、楢雄の肩に手を置くと、楢雄は汗くさい兄の体臭にふと女心めいた頼もしさを感じ、見上げると兄の眉
前へ 次へ
全21ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
織田 作之助 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング