がなく、喧嘩するのはくだらないじゃないか。無駄だよ。エネルギーの浪費だよ。よした方が気が利いている。よし給え……」
 と、畳みかけるように言った。
 龍太は微笑しながら、
「おい、豹吉、こんな奴おれ知らんよ。こんな邪魔が飛び入りしたら、もうおれは気が抜けてしもたよ。――どや、今夜はこれで幕ということにしようか」
 と言った。

 隼団の龍太に、もう喧嘩はやめようと言われて、豹吉は両の頬ににやっとえくぼを浮べながら、ペッと唾を吐き捨てると、
「そやなア。この演説屋の長講一席に敬意を表することにしようか。だいいち、おれは人をあっと云わせることは好きやが、売るのも買うのもあんまり好きやない」
 そう言った途端、ふと渡辺橋で釣をしていた男の言葉を想い出した。
 ――「食わん魚釣って売るつもりか」
 ――「……? ……」
 ――「変な顔をするな。喧嘩のことや」
 豹吉はいきなり呟いた。
「……あの男は死によったが、おれは死に損うた」
 龍太は拳銃をポケットに入れると、
「じゃ、引きあげよう」
 と、隼団の連中を連れて、引きあげかけた。
「一寸、待った!」
 と、小沢は呼びとめた。
「まだ何か用か」
「うん。――その拳銃、僕に渡してくれ」
「何……?」
「君たちは、いや、僕ら日本人は警察官以外拳銃を持つことは許されていない。しかも君たちがそれを持っていることは、君たち自身ばかりでなく、日本人全体に迷惑が掛かる。――渡して行ってくれ」
「………」
「僕は君が拳銃を持っているのを、黙って見てるわけにはいかないんだ。日本人として見るにしのびないのだ。渡して行ってくれ。それとも渡すのがいやだと、云うんなら、僕は、くどいようだが、もう一度君たちの前で……」
 と、小沢はちらと豹吉の顔を見て、
「――演説屋の長講一席をくりかえさなくちゃならない」
 龍太はだまっていた。
 すると、兵古帯のお加代はいきなり、小沢の手に自分の拳銃を渡して、
「あんたに渡すのじゃないわよ。日本人全体の迷惑になる――っていう、あんたの言葉に渡すのよ」
 と、言った。そして、龍太に、
「――あんたも渡したら、どう?」
「うん」
 龍太はいやいや返事して、未練たらしそうな顔で、小沢に拳銃を渡した。
「ありがとう。それでこそ君たちは……」
「日本人だと言うんやろ。おだてるのはやめてくれ」
 さア行こうと、隼団が引きあげると、青蛇団も引きあげかけた。
 小沢はお加代を呼びとめて、
「その唖の娘は、いつから青蛇団にはいったの」
 と、優しくきいた。
「今日から」
 と、お加代は言って、ふとしみじみした口調になると、
「――ほら、見てやってごらん」
 と、唖の娘の腕をまくり上げて、
「――可哀想に刺青の墨の色がまだ濡れてるわよ」
「刺青……?」
 小沢は急にはっとして思い当ることがあった。

 唖の娘の二の腕の刺青……。
 その生なましい青い墨の色を見た途端、小沢の頭には……。
 梅田の闇市で見た刺青の男――市電の釣革にぶら下った青い腕――細工谷町の四ツ辻――唖の娘を連れてはいった「横井喜久造」の標札のあるしもた家――伊部の家の近所――四ツ辻――裸の……娘。
 これらのイメージが同時に閃いた。
「そうだ、たしかにそうだ、たしかにあの男だ、あの家だ」
 小沢はそう叫ぶと、一同が引揚げるのも待たず、ぷっと駈け出して行った。
(映画の手法に従えば、ここで場面は当然針助の家に移るわけだ。作者は試みにこの場面を、シナリオ――つまり映画台本の形式で書いてみることにする)
    …………………………
  ┌────────┐
  │ 針助の家の中 |
  └────────┘

[#ここから3字下げ]
針助、腕をまくり上げている。刺青が見える。
裸にされた次郎と三郎がブルブルふるえながら、恐怖の眼で畳の上に置かれた刺青用の針の先を見ている。
針は電燈の光を浴びて白く冴えかえっている。
針助の異様に燃える眼が迫る。
[#ここで字下げ終わり]

  ┌─────┐
  │ 四つ辻 |
  └─────┘

[#ここから3字下げ]
小沢、かけつけて来て、四つ辻を曲り、標札を見ている。
門燈のあかりに「横井喜久造」という標札の字が浮び出ている。
小沢、立ち停り、玄関の戸に手を掛ける。
[#ここで字下げ終わり]

  ┌────────┐
  │ 針助の家の中 |
  └────────┘

[#ここから3字下げ]
小沢はいって来る。
針助はぎょっとする。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
針助「誰や、お前は……?」
小沢「豹でも龍でも亀でもない」
[#ここから3字下げ]
と、気ざっぽい科白だが、中之島公園で演説した気持の延長で、言う。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
針助「な、なにしに来た?」
[#ここから3字下げ]
小沢、ふと部屋の隅に掛った女の着物を目ざとく見つける。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
小沢「着物を取り戻しに来た」
針助「着物……?」
小沢「そうだ。そこに掛っているその着物だ。昨夜、ここから裸のまま飛び出した娘の着物だ。その娘は、着物がないために、宿屋の着物を盗もうとして、警察へつき出された。その娘を救うために、証拠にその着物がいるんだ」
針助「そんなこと、おれは知らん」
小沢「白っぱくれるのはいい加減にしろ、唖の娘に今日刺青をしたのは誰だ。この子供らを何のために裸にしているのだ。昨夜の娘は何のために裸のままここを逃げ出したのだ」
針助「うーむ」
[#ここから3字下げ]
と、うなっていたが、いきなり畳の上の針を手に取って、次から次へ小沢めがけて投げつける。
小沢、体をかわす。
針助、飛び掛って行く。
小沢、簡単に針助を投げ飛ばして押えつけ、次郎と三郎らに眼くばせして、針助を縛らせる。
針助の背中の刺青に、食い入るように、きつく紐が掛けられる。
[#ここで字下げ終わり]
(シナリオなら、ここでこの場面が消えるのである)

    氷の階段

 中之島公園を引き揚げた豹吉、亀吉、兵古帯のお加代、唖の娘その他青蛇団の連中は、やがて堂ビルの横を東へ折れて行った。
 その辺り――堂ビルの裏側は焼跡で、ひっそりと暗かったが、たった一つ、ぽつりと灯がついているのを見ると、豹吉は、
「ああ、あそこや、あそこや」
 と指した。
 ブルウスカイ(青空)というコッテエジ風の喫茶店兼料理店であった。終戦後大阪の町々に売出した喫茶店は、たいてい俄づくりのバラックで、荒削りのいかにもドサクサまぎれに出来たという感じの、味もそっけもうるおいも色彩もない店だが、ブルウスカイはやはりバラックづくりながら、コッテエジ風の建て方や、店の装飾に、アメリカ式の軽快なスタイルと仏蘭西趣味の色彩が採り入れられていて、戦前の豪華な喫茶店よりも、かえって垢ぬけていた。
 深夜、焼跡の中にぽつりと灯がともっているというのも、何か山の小屋のような感じで、豹吉はふっと心に灯がついた想いだった。
 一つには、一度だけこの店へ、
「まだ、店をひらいているだろうか」
 と、心配しながら来てみると、案の定灯がついていて、ほっとした――というよろこびのせいだった。
 それというのも、自分の生命を救ってくれた青蛇団に御馳走してやりたかったし、そしてまた、ブルウスカイでのささやかな饗宴が、もしかしたら豹吉の最後の饗宴になってしまうかも知れなかったからだ。
 なぜなら、これから雪子を救い出しに行って、そのまま帰って来られないかもわからないのだ。
 それだけになお一層、焼跡の中のブルウスカイの灯は、豹吉の人恋しい心をしびれるように甘く、なつかしく、温めた。
「珈琲出来る……?」
 扉を押してはいると、そう豹吉はきいて、
「――ああ、じゃ、珈琲と、それから何か……、サンドイッチでも……」
「おビールは……?」
「そうだな」
 と、豹吉はちょっと考えた。
 最後になるかも知れない饗宴に、ビールでも飲みたいところだった。しかし、いかなる時にも冷たく醒めていたいのが、豹吉の掟だった。何ごとによらず、陶酔したり、われにもあらず昂奮したり、驚いたりすることは、豹吉の掟に反していた。
「――まア、よして置こう」
 珈琲とサンドイッチが運ばれて来ると、豹吉は一寸口をつけただけで、いきなり起ち上った。
「みんな、ここで待っていてくれ、おれ一寸行って来る」
「どこへ……?」
 行くのかと、お加代がきいた。が、咄嗟に答えられなかった。さすがにお加代の手前、雪子を救いに行くとは言えなかったのだ。
 豹吉はまるでそのあたりの闇市へ煙草を買いに行くような顔で、扉を押すと、暗がりの中へ出て行った。

 雪子が連れられて行った道順から考えて、豹吉は雪子が留置されているのは、S署にちがいないと思っていた。
 S署――差し障りがあってはいけないから、わざと頭文字だけにして置くが――S署は大阪の表玄関にある警察署である。いわば大阪の代表的な警察署だ。
 その警察署へ、単身乗り込んで行って、雪子を救い出す――という計画、いや思いつきは、むろん向う見ずであった。二十歳の単純な頭が思いついたにしても、呆れるくらい乱暴である。
 もっとも、さすがの豹吉も単身では無理だということは判っていた。
 せめて、青蛇団の一党を率いて行った方が……ということも考えた。
 しかし、お加代の手前があった。昼間雪子に惚れているのだと、はっきりとお加代の前で言った――その手前、雪子を救い出すから、力を藉してくれとは、言い出し兼ねたのだ。
 照れくさいのである。それに、一人でやるところに、豹吉はいかにも豹吉らしいやり甲斐を感じていた。
 もっとも、豹吉は向うみずではあったが、莫迦ではなかった。
 だからS署の前まで来た時、さすがにいきなり飛び込んで行くような、滅茶苦茶な真似はしなかった。
「どうしたら、最も効果的に救い出せるだろうか」
 と、立ち停って考えてみるだけの、思慮分別は持っていた。
 S署の玄関は、警官が出たりはいったりしていた。
 制服ではないが、玄関の石段を登って行く歩き方で、
「私服だな」
 と、すぐ判るものもいた。
 真青な顔で、泡を食いながら、ソワソワと石段を登って行くのは、掏摸にやられて届けるのか、それとも駅で置引に荷物を盗まれたのだろうか。
 シャツをズタズタにして、顔中血まみれの男が二人、昂奮しながら、警官に連れられてはいって行くのは、いわずと知れた喧嘩だ。
「なるほど、喧嘩というやつは見苦しいわい」
 と、豹吉は呟いた。
 棍棒を持った若い警官が五、六人、あわただしく出て来て、駅の方へかけ出して行った。
 どんな事件だろう。
 若い女が泣きながら石段を駈け登って行く。
 何を訴えに行くのだろう。
 夜は次第に更けて行った。
 いかにも深夜の警察署らしい、そのS署の玄関の往来を豹吉はしばらく新聞記者のような眼で観察していたが、やがて、いらいらした声で、
「いつまでも、こないしていても仕様がない」
 と呟いた。
 何か大事件が起って、警察署の全員が出動した――その隙をねらって、雪子を救い出すという虫の良い考えにも、もう頼っておれなかった。
 豹吉はペッと唾を吐き出した。
「どうにでもなれ!」
 唾と一緒にその言葉を吐き出すと、豹吉は玄関の階段を、固い姿勢で登って行った。

 S署の玄関の石段を、固い姿勢で豹吉は登って行った――と、作者は書いたが、たしかに警察署の玄関へはいって行くことは、署員か御用商人か、新聞記者か、それとも警察の関係者以外にとっては、何か薄気味悪いものである。
 脛に傷を持たなくても、やはりいい気持のものではない。
 戦争中にくらべると、警察というものの持っている感じも、随分圭角がとれて来たし、まして、大阪の警察は例えば闇市場の取締り方一つくらべてみても、東京のそれよりもはるかにおとなしいというものの、それでもさすがに何か冷やりとした冷たさは、依然とし
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