事といった方がいいくらいだ。しかし、耳かきですくうような、ちっぽけな出来事でも、世に佃煮にするくらい多い所謂大事件よりも、はるかにニュース的価値のある場合もあろう。たとえば、正面切った大官の演説内容よりも、演説の最中に突如として吹き起った烈風のために、大官のシルクハットが吹き飛ばされたという描写の方を、読者はしばしば興味をもって読みがちである。
 実は、その出来事が新聞に載らなかったのは、たった一人の目撃者を除いては誰ひとりとしてそのことを知っている者はなかった――という極く簡単な事情に原因しているのである。
 いいかえれば、当事者はべつとして、その出来事を知っているものは、大阪中にただ一人しかいない――ということになる。
 その意味では、その目撃者はかなり重要な人物だと、云ってもよいから、まずその姓名を明らかにして置こう。
 小沢十吉……二十九歳。
 その夜、小沢は土砂降りの雨にびっしょり濡れながら、外語学校の前の焼跡の道を東へ真直ぐ、細工谷町の方へ歩いていた。
 夜更けのせいか、雨のせいか、人影はなかった。バラック一つ建っていない、寂しい、がらんとした道だった。
 しかし、上ノ宮中
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