を突込んだ。
 やはり手がふるえた。が、こんどは札束を掴んだ途端、彼女はうしろも見ずに、ぱっと逃げ出した。
 歯がカチカチと鳴った。ふるえが停らぬのだ。
 そのまま、鴈治郎横丁まで逃げて来た時、
「ちょっとお待ち!」
 と、いきなり、肩を掴まれた。
「…………」
 ぎょっとして振り向いた。
 肩を掴んだのは「ヒンブルのお加代」――またの名「兵古帯のお加代」だ。
 相変らず前髪を垂らし、薄暗がりで黒色に見えるが、兵古帯の色はいつも紫だ。
「う、う、う……」
 うめくような、恐怖の声を、唖娘は痩せた喉から絞り出した。
「その手のものをお出し!」
 お加代は、札束を鷲掴みにした娘の骨だらけの手を鋭く見た。
「う、う、う、……」
「お出しといったら、お出し」
「…………」
「黙ってちゃ埓が明かないわよ」
「何を、唖じゃあるまいし……」
「う、う、う、……」
「じれったいわね。出さなきゃ、ふんだくるわよ」
 お加代はいきなり相手の手を掴んだ。
 その時、一つの影がすっと鴈治郎横丁へ[#「鴈治郎横丁へ」は底本では「雁治郎横丁へ」]はいって来た。

「う、う、う、あッ、あッ、あッ……」
 唖の娘はお加代に手を捩じられて、鳥のような奇声を出した。
「何さ、変な声を出して……」
 そう言いながら、お加代は娘の手から札束を掴み取ったが、薄暗がりですかしてみると、十円札は一枚しかなく、あとは五十銭札と一円札ばかり、全部で三十円にも足りなかった。
「なんだ。これっぽっちか」
 お加代はぺっと唾を吐いた途端に、
「あ、これは豹吉の癖だったっけ」
 と、にわかに豹吉のことを想い出した。
「――豹吉はどこにいるかしら。亀公が探していたっけ」
 いや、探していたのは、亀吉だけではない。お加代もひそかに豹吉の居所を探していたのだ。――会いたかったのだ。
 昼間、ハナヤで別れたきりの豹吉に、もう無性に会いたくて仕様がない。
 自分には振り向いてくれようとしないくせに、あのストリート・ガールにのぼせているような豹吉なんぞに、こんなに会いたいなんて、一体どうしたことだろう……。
「ヒンブルのお加代ともあろうものが……」
 と、そんな自分がいじらしいと思う前に、まず腹が立って、だから、一層いらいらした声で、
「あんた、これっぽっちしか持ってないの?」
 と、娘を睨みつけた。
「…………」
「返事ぐらいしたら、どう……?」
 お加代はいきなり娘の頬を撲りつけた。
 娘はキョトンとした眼で、撲られたあとを押えもせず、お加代を見上げていた。
「何さ、その平気な顔は……」
 もう一度撲ろうとすると、
「おい、お加代!」
 と、声が来た。
「――堪忍してやれ、そいつは唖やぜ」
 そう言いながら寄って来たのは、例の刺青の男だ。
「え……? 唖だって……? 本当かい、針助さん」
 針助という名を記憶している読者がいる筈だ。
 いやもっと記憶の良い読者なら「ガマンの針助」という名でおぼえている筈だ。
 更に、昼間、ハナヤでお加代が豹吉に、雪子が昨夜拾った男が「ガマンの針助」だと、語って、危く豹吉を狼狽させかけたことを、おぼえている読者もあろう。
 ガマンとは、大阪でいう刺青の方言だ。だから、刺青の針助と書いてもいいわけだ。
「本当かい……テ、お前もよっぽど勘が悪いな。唖でなかったら、一言くらいものを言う筈やろ」
 針助はお加代に言った。
「――その金は返してやれよ」
「唖からとるのはいけないって、いうの……?」
「そやない。実は、こいつ今日から、身内になりやがったんや」
「仲間に……? この唖が……?」
 お加代は思わずきいた。

「そや、今日から青蛇団の一員や。おれも仕込むが、おまはんもよう仕込んだってくれ」
 ガマンの針助は、キョトンと突っ立っている唖の娘の方を見ながら兵古帯のお加代にそういった。
「へえ……? あきれた。こんな唖が使いものになるの……?」
 お加代は吐出すように言った。
「――青蛇団も随分相場が下落したわね」
「まア、そう言うな。これでも……」
 と、針助は唖の娘をまるで品物か何かのように指して、
「――唖は唖だけの取得があるかも知れんぜ。それに、こいつ案外すばしこいとこがある。今日ちょっと仕込んだだけで、ちゃんともう一仕事しよった」
「あ、この端た金が……」
 そうなの? ……と、お加代は唖の娘からまき上げた金を、未練気もなく針助に渡した。
 針助はだまって、それを唖の娘の手に握らせてやると、娘はにやりと微笑んで、何度も何度も勘定するのだった。
 久しく金というものを、手にしたことがないのだろう。
 お加代はふっと顔をそむけて、自己嫌悪に襲われた。
 針助はにやりと笑って、薄気味の悪い、女のようなネチネチと優しい声で、
「今はこんな端た金でも、もうちょっと仕込
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