んだら、今に背中の刺青にものを言わすようになるやろ」
「じゃ、あんた、もうこの娘っ子に……」
 と、お加代は顔色を変えた。
「――刺青をしてしまったの……?」
「うん」
「一体、どこで拾って来たの」
「梅田の闇市や。飯を食べさせるったら、喜んでついで来よった」
 針助はうふふ……と、下卑た笑い声を立てた。
「ごはんで釣って、こんな口も利けない娘ッ子に……」
 と、お加代はきっと唇を噛んだ。
「――うむも言わさずに、刺青をするなんて、実際ひどいことをするのね」
 針助を睨むように見ると、針助はふと狼狽の色を見せたが、やがて急に笑い出して、
「あはは……。永いこと刺青をせんからな。たまにはこういう大人しい娘の肌に、思う存分針を入れんと、淋しゅうて仕様ない。今日は久し振りにたんのうした。えへ、へ……」
 そして、唖の娘の方を向いて、
「――おれも随分大勢の肌に針を入れてきたが、今日お前の背中にしてやった刺青ほど、会心の針はなかったんやぜ。誰に見せても恥かしゅうない刺青や。お前の背中は何万円出しても買えん背中やさかいな、口はものをいわんでも、背中にものをいわすような、一人前の姐御になりや」
 と、くどくどといいきかせるようにいった。
「う、う、う……」
 娘はただ奇声を発しただけだった。
「あはは……。そやった。言うても聴えんのやったな」
 と、針助は苦笑すると、お加代に、
「――ほな、この子を頼んだぜ」
「いやよ」
 お加代が言った時は、しかし針助はもう娘を残して一人でスタスタと歩き出していた……。

「ちょっと、ちょっと、困るわよ。あたし……」
 兵古帯のお加代は針助のあとを、バタバタと追うて行って、
「――あんな子あたしに預けてどうするのさ。困るわよ。――ちょっと、針助さん!」
 呼びとめようとしたが、しかし、針助はふり向きもせず、鴈治郎横丁から姿を消してしまった。
 お加代は諦めて、唖娘の方へ戻って来た。
「…………」
 唖の娘は、もう自分はお加代について行くよりほかにないと、きめてしまったように、ちょぼんと薄暗がりの中に立って、お加代が自分の所へ戻って来るのを待っていた。
 そのいじらしい孤独な容子が、さすがにふっとお加代の胸を温めた。
 お加代はいきなり娘の肩に手を掛けて、
「御免ね。さっき撲ったりなんかして……」
 と、謝るように言うと、無論それは聴えなかったが、気持は通じたのか、痩せた首を二度、三度たてに振って、
「う、う、う……」
 奇声を発しながら娘はふっと微笑んだ。
「あんた、おなか空いてるでしょう。何か食べようよ」
 お加代は娘の肩に手を掛けたまま、ハナヤの方へ並んで歩いて行きながら、
「――本当にひどい眼におうたわね。あの針助って奴はね。ガマン(刺青)の針助といってね。刺青にかけては西では一番という名人なんだけど、ああいう名人に限って、悪い癖があるのよ。人間さえ見たら、刺青をしたくてたまらないのよ。つまり刺青のマニアっていう奴ね」
「…………」
「いやがるのを無理に、脅したり、すかしたり、甘言を弄したりして、家へ連れこんでは、麻薬をかがせて、刺青をしてしまうのよ。あいつのために刺青をされた人間がどれだけいるか判りゃしないわよ。あたしだってその一人さ。――あんた、聴いてる……?」
「…………」
 唖の娘は相変らずキョトンとして、前髪の下ったお加代を見上げていた。
「そう、あんたは聴えなかったわね」
 お加代は苦笑したが、ふと思いついたように、
「――そうだわ。あんたの耳が聴えるのだったらこんな話はしないわよ。聴えないから、するのよ」
「…………」
 お加代の顔を見上げた娘は、お加代の眼がうるんだのを見てびっくりしたような表情になった。
「あたしだって、あの針助に刺青さえされなきゃ、こんな女にならなかったわよ。あたしだって、東京にいた頃は、真面目な娘だったのよ。同性愛も出来ないくらい、コチコチの箱入娘だったのよ。それが東京で焼け出されて一人で、大阪へ流れて来て……」
 その時のことを想い出すようにふっと空を見上げると、降るような星空だった。
「ああ。きれいなお星様」
 呟いた時、ふと星が流れて、青い光がすっと斜に、あえかな尾を引いて、消えた。
 お加代はしみじみと、星の流れるあとへ遠い視線を送りながら、
「……お星様が流れている間に願いごとを祈ると、かなうというけど……」
 と、ひとり言のように呟いていると、ふと思いがけぬやるせなさに、胸がしめつけられた。
「――願いごとって、どんなことだろう」
 と、その胸の底を覗きかけて、お加代はあわてて想いをそらしたが、しかし、星が見ていた。星に胸の底を覗かれてしまったのだ。
「ままよ。どうせ覗かれたんだもの」
 そう思って、お加代は、
「――豹吉!」
 と、小さく声に出し
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