が一人残らず、風に吹かれて、風のように、小沢の眼の前に現れたのだ。
 予期していたものの、豹吉がこんなに早く説得して連れて来たのを見ると、さすがに驚いた。
 風のように現れた一同は、やがて石段を、氷のような石段を登ると、風のようにS署の中へ姿を消してしまった。
 小沢はそのうしろ姿をじっと見送ったまま、ついて行こうとしなかった、ついて行く気もしなかった。いや、ついて行けなかったのだ。小沢の眼はいつかうるんでいた。

 S署の刑事室――。
 自首した青蛇団の連中の表情には、少しも暗い翳はなかった。
 ことに、豹吉は昂然として、寂しそうな顔なぞ見せず、
「おれたちは堂々と自首したのよ」
 という自虐的な快感を覚えていた。
 それに、豹吉にとって、ますます愉快なことには、青蛇団が自首したことで刑事はすっかり驚いてしまっていた。
 小沢がふん縛って連れて来たガマンの針助の自白によって青蛇団の正体はもう明らかになっていた。だから、S署では明朝を期して、一斉に検挙の網を打とうと考えていた。
 そこへ、いきなり青蛇団が自首して来たのだ。
 針助がつかまったことを、知ってか、知らずにか、――とにかく、意外だった。まさか自首して来ると思えなかった。よしんば、自首を計算に入れていたとしても、その来方があまりに早すぎる。
 だから、刑事は驚いたのだが、その表情を見ると、豹吉は煙草の味がうまかった。
「人を驚かせるが、自分は……」
 云々。
 つまり、自首したということは、「何か人をあっといわせるような、意表外のことを……」
 と、つねに考えている豹吉の心にかなったわけだった。
 いいかえれば、効果は十分にあったのだ。
 そう思うと、豹吉はますます相手の刑事を、あっと言わせてみたくなった。
 一応、取り調べが済むと、豹吉は言った。
「……ほかにもう一つ、悪いことをしました」
「ふーん。なんだ、どんなことだ」
「人を殺しました」
「えっ……?」
 と、刑事は驚いた。効果はやはりテキメンだった。
「――いつ、どこで……?」
 豹吉は少年らしい虚栄に胸を張って、
「今朝、六時頃渡辺橋で釣をしている男を、川へ突き落して、殺しました」
「えっ……?」
 と驚いたのは刑事よりも青蛇団の連中だった。
「なるほど、釣をしていた男をか。う、ふ、ふ……」
 刑事の方は気味のわるい笑いを泛べているだけだった。驚いていないのだ。
 豹吉は拍子抜けした。何かすかされた感じだったから、もう一度声をはげまして、
「殺人罪です、すぐ送局して下さい。覚悟はしています」
 と、言った。
「まア、そのことはあとで調べる。――とにかく、はいっとれ。おい、煙草は捨てるんだ」
 にやにやしながら、一同を留置場へ連れて行った。
 お加代と唖娘は女の留置場へ――。
 豹吉は亀吉たちと一緒に留置場の小さな入口――というより、穴をくぐってはいった。
 そして、じろりと中を見廻した途端、
「あッ!」
 豹吉は思わずぎょっとして、棒を呑んだようになった。

 豹吉がぎょっとしたのは、針助が坐っているのを見たからではない。
 針助がつかまったことは、小沢から聴いていた。
 だから、そのことでは、豹吉は驚かなかった。
 豹吉が見たのは――。
 留置場の隅の方に、しょぼんと坐っている伊部の姿だった。
 伊部――今朝、渡辺橋で釣をしていた得体の知れぬ奇妙な男!
 その男を殺した――と、たった今刑事に白状して来たのだ。
 ある時は、その殺したという罪で、自責の念にかられ、ある時はそのことを昂然と口にすることで少年らしい虚栄心を満足させて来た――いわば、今日一日とにもかくにも豹吉の心を支配して来たその男――死んだ筈のその男が、豹吉の眼の前に坐っているのだ。
 さすがの豹吉もぎょっとせざるを得なかった。
 われにもあらず、驚いたのだ。掟を破ったのだ。すかさず、亀吉が言った。
「兄貴、どないしたんや。顔色変えて……」
「どないもこないもない。こんなに、びっくりしたのは、生れてはじめてや」
「ほな、千円くれ」
「……? ……」
「兄貴のびっくりしてる所を見たら、千円くれる約束やったな」
 亀吉は手を出した。
「阿呆! ここは豚箱やぞ。一銭も持ってるか」
 豹吉はそう言って、伊部の方へ寄って行った。
「よう。君か。ひょんな所で会うたな」
 伊部はにやにや笑っていた。
「生きたはりましたんか」
 豹吉はすっかり大阪弁だった。
「うん。泳ぎを知ってると、なかなか死ねんもんでね」
「あ」
 と、豹吉は釈然として、伊部が死んだものと思い込んでいた自分の間抜けさ加減に苦笑したが、しかし、なぜ伊部が留置場に入れられているのか、これは判らなかったので、きくと、
「なアに、一水浴びた勢いで、浴びるようにアルコールを飲んだんだよ。酔っぱらって
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