びて来た。
「君たちは敗戦につきものの混乱と頽廃の園に咲いた悪の華だ。が、日本はもう混乱、頽廃から起ち直ってもいい頃じゃないか。それにはまず、悪の華をなくしてしまう必要がある。しかし、僕は何もいきなり刈り取ってしまおうとは思わない。それよりも、むしろ君たち悪の華が向日葵の花のようになることを、望んでいるのだ。悪の華は夜光虫の光に憧れる。が、向日葵は太陽の光線に向って伸びて行くのだ。夜光虫の光と太陽の光と、君たちはどちらを選べばいいのか。……むろん、太陽の光だ。夜光虫の光に憧れた君たちこそ、一層太陽の光に憧れなければならぬ筈だ。いや、君たちは内心ひそかに太陽の光に憧れている筈だ。……と、僕は思う、それとも君たちはあくまで夜光虫の……」
「判った」
豹吉はいきなり小沢の言葉をさえぎった。
「――判ったよ。自首しよう」
「えっ……」
「もう面倒くさくなった。自首すればいいんだろう。自首するよ。自首する勇気もないのかと思われたくないからな」
豹吉はぺっと唾を吐くと、
「――どうせ、雪子の救い出しに失敗して、ぶち込まれるにきまっているのだ」
と、ひそかに呟いた。
豹吉が単身このS署へ雪子を救い出しに来たのは、はっきりと救い出せるという確信があって来たというよりも、むしろ雪子が留置されている場所へ少しでも近づきたいという気持でやって来たのだった。
してみれば、自首をすすめられたのは、まるでもっけの倖いかも知れなかった。いや、何かサバサバした気持だった。
「自首という手もあったんだな」
自首して留置されれば、雪子に近づけるわけだ。と、思ったのだ。
「手間がはぶけて、手っ取り早いわい」
そう呟いたが、しかしさすがに豹吉はふと寂しそうだった。
「そうか、自首してくれるか。ありがとう」
小沢の声は思わず弾んだ。
「そんなにうれしそうな顔をして、礼を言うのはやめてくれ。けったくそ悪いよ」
豹吉は再び唾を吐いて、扉の中へはいって行こうとした。すると、小沢はあわてて、
「いや、一寸待ってくれ。僕は君ひとりやりたくない」
「じゃ、誰とや……」
「君の仲間と一緒に自首させたい」
「おれに、仲間を説き伏せろというのやな」
豹吉はふとブルウスカイで待っている青蛇団の連中の顔を、想い出した。
「そうだ、虫のいい願いだが、そうしてくれないか」
豹吉は石段の上へ眼を落した。睫毛がかぶさって眠っているようだった。やがて、ふと顔を上げると、
「あんたの役はいい役やなア。同じ自首をすすめるのでも、おれの方は悪い役まわりや」
しょんぼりした声だが、しかしふとえくぼが泛び、したたるような微笑をたたえながら豹吉は言った。
小沢は急に眉を曇らせた。
「あんたの役はいい役やなア」
という豹吉の言葉が、皮肉のようにも、また小沢を責めているようにも聴えたのだ。
なるほど、考えてみれば、小沢は得意の雄弁にものを云わせて、豹吉に自首の決心をさせることに成功したが、もうそれだけで充分満足すべきであった。
が、小沢はなおそれ以上のことを、要求した。ブルウスカイで待っている青蛇団の連中を説き伏せて、一緒に自首しろ――という難題だ。
豹吉にとって、これほど辛いことがまたとあろうか。
むごい――という言葉があてはまる。たしかに、むごすぎる。
さすがの小沢も、
「おれは今血も涙もない、非情の石ころになっているのかも知れないぞ」
と、もはや豹吉の顔を正視するにしのびなかった。
「しかし、心を鬼にして――ということがある」
大阪の市民のため、ひいてはこの国の社会の秩序のため――いや豹吉はじめ青蛇団の連中が、向日葵のように太陽の子に甦生するためにも、心を鬼にして非情の石となって、無理な要求をしなければならぬと、小沢はあわてて自分に言いきかせると、もうきっと冷かな眼をして、
「…………」
豹吉の少女のような美しい、しかし、やや青ざめた顔を、見つめた。
「…………」
豹吉も暫らくだまって、小沢を見つめていたが、やがて、投げやりのような微笑をふっと泛べると、
「仕様がない。癪やが、あんたのいう通りにする。あんたには負けたよ。――三十分ここで待っていてくれ。皆んなを連れて来る」
と、言いながら石段を降りて行こうとした。
「あ。君」
と、小沢が呼び停めようとすると、豹吉はふと振り向いて、
「心配しなはんな。逃げたりするもんか」
石段を降りると、豹吉はやがて梅田新道の方へ姿を消した。
そして半時間たった。
夜が沈み、小沢の心も重く沈んでいた。
その重い心の底を、五月の風がさっと冬の風のように吹き渡り、小沢は何か寒々とした想いで、S署の玄関に佇んでいたが、やがてひょいと顔をあげた途端、小沢ははっとした。
豹吉、お加代、亀吉、唖娘――その他中之島公園で見た青蛇団
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