言って、いきなり部屋の外へ出て行った。
 そして、わざとゆっくり便所から帰って来ると、娘はちゃんと寝巻に着更えていた。
 しかし、その寝巻は寸法が長いので、娘は裾を引きずっていた。それが滑稽でもあり、そしてまた、ふと艶めかしくも見えた。
「長いね」
 小沢が言うと、娘は半泣きの顔になり、
「ふん」
 と、鼻の先で笑ったが、何思ったか急にペロリと舌を出して、素早くひっこめた。
 寝巻に着更えたので、やっと人心地が甦ったのであろうと、小沢もふと心に灯のついた想いがしたが、それだけに一層不幸そうな娘がいじらしくてならなかった。
「ところで、も一度きくけど、一体どうしてあんな恰好で飛び出したの」
 小沢は裸のことを、再びきいてみずには居られなかった。すると娘は急に悲しい声になって、
「それだけは、きかんといて……」
 大阪弁だった。
「じゃ、今はきくまい」
 と、小沢は今はという言葉に含みを残して、
「――とにかく、寝ることにしよう。君は寝台で寝給え」
「ええ」
 娘はうなずいて、素直に寝台に上りかけたが、ふと振り向くと、
「あなたは……?」
 どこで寝るのかと、きいた。

「僕はここで寝るよ」
 小沢は椅子に掛けたまま、わざと娘の顔を見ずに言った。
「そんなン困るわ」
 娘は寝台の傍で、ちょっと体をくねらせて、鼻に掛った声で言った。
 女の大阪弁というものは、含みが多い。だから、娘のその言葉、そしてその声は、何か安心したようにも、甘えて小沢を責めているようにも、そしてまた、恐縮しているようにも聴えた。
「そんなン困るわ」
 といったが、一体どういう風に困るのか、いや、本当に困るのか、小沢にはさっぱりその意味が汲み取れなかった。
 つまり、小沢にはその娘の心理がまったく解らぬのであった。
 なぜ解らぬのか……。
 ありていに言えば、小沢の心の底には、既にその娘への、ある種の(といってもいい位複雑な)関心がひそかに湧いていた――その関心があるために、もう娘の心理が解らなくなってしまったのかも知れない。
 その関心の中で、一番強いのは、やはり娘の体への本能的な好奇心だった。雨に濡れたあとの動物的な感覚が、たしかにその本能へ拍車を掛けていた。ことに、裸の娘と深夜の部屋に二人きりでいるという条件は、この際決定的なものであった。
 しかし、そんな風な、まるでおあつらえ向きの条件になった原因を考えると、小沢はやはりその娘の体に触れることが躊躇された。
「とにかく娘はおれに救いを求めたのだ。おれは送り狼になりたくたい」
 そう思ったので、小沢はもうサバサバした声で言った。
「困るも何もない。君は一人で寝台に寝るんだ」
「でも……」
「僕は椅子の上で寝るのは馴れてるんだから……」
 そう言うと、娘は暫くためらっていたが、
「じゃ、お休み」
 と、言って、寝台の中へもぐり込んだ。
 ちらと眼をやると、娘は掛蒲団の中へ顔を埋めている。眩しいのだろうか。
「灯り消そうか」
 小沢が声を掛けると、娘は半分顔を出して、
「ええ」
 天井を見つめたまま、うなずいた。
 小沢は立って行って、壁についているスイッチを押した。
 廊下の灯りも消えているので、外から射し込んで来る光線もなく、途端に真暗闇になった。
 手さぐりでもとの椅子に戻ると、小沢は濡れた服を寝巻に着更えると、眼を閉じた……。
 外は相変らずの土砂降りだった。
 何か焦躁の音のような、その雨の音が耳についてか、それとも……とにかく小沢はなかなか寝つかれず、いらいらしているとふっと、大きな溜息が寝台の方から聴えて来た。
 娘もやはり寝つかれぬらしい。
 そして、どれだけ時間がたった頃だろうか、娘はいきなり寝返りを打つと、声を掛けて来た。
「なんぜここへ来て寝ないの……?」

「えっ……?」
 小沢は思わず眼をひらいて、寝台の方を見た。
 暗がりで、よくは見えないが、たしかに娘はこちらの方へ顔を向けて寝ているらしい。
「…………」
 娘は暫らく黙っていたが、やがてちょっとかすれた上ずった声で、
「小沢さんはあたしが嫌いなんでしょう?」
 と、言った。
 小沢の名を知っているのは、さっき宿帳に書く時、覗いていたからであろうが、それにしても、いきなり自分の名を云ったので、小沢はちょっと意外だった。
 もっとも、この驚きには甘い喜びが、あえかにあった。
 復員者の小沢は、久しく自分の名を「さん」づけで呼ばれたことはなかった、しかも若い女の口から……。
「どうして……? 嫌いじゃないよ」
「じゃ、なんぜ……?」
「…………」
 小沢は返答に困った。暗がりをもっけの倖だと思った。まだ二十歳前後の若い娘が、そんな言葉を言っている顔を見るに耐えないばかりでなく、ふと赭くなった自分にも照れていたからだ。
「やっぱり嫌いな
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