のだが、といって、娘を追い返すわけにもいかない。
宿なしの悲しさが、土砂降りの雨のように小沢の心に降り注いで来た。
「困ったなア……」
小沢は眉毛まで情けなく濡れ下りながら、呟いた。
長い間、雨の中を傘なしで歩いて来たので、下着を透して毛穴まで濡れていた。五月だが、寒く、冷たい。
「しかし、この娘の方がもっと寒いだろう」
ガタガタ顫《ふる》えている娘の身ぶるいを感ずると、少しでも早く雨をしのぐところを探してやりたかった。
「本当に家へ帰らないの……?」
娘はうなずいて、
「帰れません」
小さな声で言った。
「どこか宿屋はないかな」
「阿倍野の方へ行ったら、あるかも知れません」
娘が言った。大阪訛だった。
宿屋へも構わずついて来るつもりらしい。
「とにかく行ってみよう」
二人は、恋人のように肩を並べて阿倍野橋の方へ歩きだした。
玉造線の電車通へ出て、寺田町の方へ二人はとぼとぼ歩いて行った。
寺田町を西へ折れて、天王寺西門前を南へ行くと、阿倍野橋だ。
途中、すれ違う電車は一台もなかった。よしんばあっても、娘のそんな服装では乗れなかった。焼跡の寂しい道で、人通りは殆どなかったが、かえってもっけの幸いだった。
娘ははだしで歩きにくかったので、急いだつもりだが、阿倍野橋まで一時間も掛った。
阿倍野の闇市のバラックに、一、二軒おそくまで灯りをつけている店があった。
立ち寄って、暖いものでも食べたかったが、やはり裸の上にレインコートだけ、おまけにはだしだという娘の服装が憚られた。
しかし、灯りの見えたことは嬉しかった。この辺は停電ではなかったらしい。
大鉄百貨店の前のコンクリートの広い坂道を、地下鉄の動物園前の方へ降りて行くと、ホテルや旅館がぼつりぼつりあった。
一軒ずつ当ってみたが、みな断られた。
「だめだね」
もう地下鉄の中ででも夜を明かすより方法がない、と娘の方へ半泣きの顔を向けると、
「もう一軒当ってみましょう。――ほら、あそこに……」
小沢は寄って行って、ベルを鳴らした。暫らくすると、女中が寝巻のままで起きて来て、玄関をあけた。
小沢は娘を表へ待たせて、一人はいって行くと、
「部屋あいてませんか。いくら高くても結構です」
と、言いながら、女中の手に素早く十円札を三枚掴ませた。復員した時、三百円の新円を貰っていたのだ。
「お一人ですか」
「いや、女と一緒です」
「どうぞ……」
新円の効き目だった。
小沢は娘を呼びに出た。
そして、娘を自分の背中にかくすようにして、はいった。
女中はちらりと娘をみたが、さすがに連込み宿らしく、うさん臭そうな眼付きもせず、二階の部屋へ二人を案内した。
鍵の掛る、粗末なダブル寝台のある洋風の部屋だった。
女中は案内すると、すぐ出て行ったが、やがて、お茶と寝巻を持って来た。
「お名前をこれに……」
小沢は自分の姓名を書いて渡そうとすると、
「こちらさんのお名前もご一緒に……」
と、椅子の上で体をすくめている娘の方は見ずに、女中は言った。
小沢はちらと娘の顔を見た。
「雪子……」
娘は察して言った。
小沢は自分の名前の横に「妻雪子 二十歳」と書いて、女中に渡すと、
「お休みなさい」
女中は出て行った。
小沢はほっとして、部屋の中を見廻した、寝台は一つしかなかった。その上の方に、安っぽい女の裸体画の額が掛っていた。
「なるほど、こりゃいかにも連込み宿だ」
小沢は改めて感心したように呟きながら、苦笑した。
ダブル寝台――といっても、豪華なホテルにあるような、幅の広い寝台ではない。シングル(一人用)の寝台より少し幅があるように見えるだけで、ただ枕が二つ並んでいるのでダブル寝台といえるわけだ――その上に煽情的といっていいくらい派手な赤い模様の掛蒲団が、掛っている。
そして、寝台の枕元の壁には、安っぽい裸体画の油絵の額が掛っている。わざと裸体画を選んだのであろう。
たしかに苦笑せざるを得なかった。
経営者はこの部屋の使用される目的にふさわしいように、そんな額を掛けたのに違いない。
そして絵の安っぽさはかえって効果的だと言えるかも知れない。
けれども、そのような絵は往々にしてこの部屋へ来る客たちを照れさせ、辟易させるという意味で逆効果を示す場合もあろう。
すくなくとも小沢は辟易していた。
「まるでわざとのように、こんな絵を掛けやがった」
そう思ったのは、しかし一つにはその絵がレインコートのすぐ下の娘の一糸もまとわぬ裸体を聯想させるからであった。
「とにかく、この裸を何とかしてやらなくっちゃならない」
幸い女中の持って来た寝巻があった。が、娘は小沢の見ている前では、恥かしくてよう着更えまい。
「君、これを着たらどうだ」
小沢はそう
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