ると、青蛇団も引きあげかけた。
 小沢はお加代を呼びとめて、
「その唖の娘は、いつから青蛇団にはいったの」
 と、優しくきいた。
「今日から」
 と、お加代は言って、ふとしみじみした口調になると、
「――ほら、見てやってごらん」
 と、唖の娘の腕をまくり上げて、
「――可哀想に刺青の墨の色がまだ濡れてるわよ」
「刺青……?」
 小沢は急にはっとして思い当ることがあった。

 唖の娘の二の腕の刺青……。
 その生なましい青い墨の色を見た途端、小沢の頭には……。
 梅田の闇市で見た刺青の男――市電の釣革にぶら下った青い腕――細工谷町の四ツ辻――唖の娘を連れてはいった「横井喜久造」の標札のあるしもた家――伊部の家の近所――四ツ辻――裸の……娘。
 これらのイメージが同時に閃いた。
「そうだ、たしかにそうだ、たしかにあの男だ、あの家だ」
 小沢はそう叫ぶと、一同が引揚げるのも待たず、ぷっと駈け出して行った。
(映画の手法に従えば、ここで場面は当然針助の家に移るわけだ。作者は試みにこの場面を、シナリオ――つまり映画台本の形式で書いてみることにする)
    …………………………
  ┌────────┐
  │ 針助の家の中 |
  └────────┘

[#ここから3字下げ]
針助、腕をまくり上げている。刺青が見える。
裸にされた次郎と三郎がブルブルふるえながら、恐怖の眼で畳の上に置かれた刺青用の針の先を見ている。
針は電燈の光を浴びて白く冴えかえっている。
針助の異様に燃える眼が迫る。
[#ここで字下げ終わり]

  ┌─────┐
  │ 四つ辻 |
  └─────┘

[#ここから3字下げ]
小沢、かけつけて来て、四つ辻を曲り、標札を見ている。
門燈のあかりに「横井喜久造」という標札の字が浮び出ている。
小沢、立ち停り、玄関の戸に手を掛ける。
[#ここで字下げ終わり]

  ┌────────┐
  │ 針助の家の中 |
  └────────┘

[#ここから3字下げ]
小沢はいって来る。
針助はぎょっとする。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
針助「誰や、お前は……?」
小沢「豹でも龍でも亀でもない」
[#ここから3字下げ]
と、気ざっぽい科白だが、中之島公園で演説した気持の延長で、言う。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
針助「な、なにしに来た?」
[#ここから3字下げ]
小沢、ふと部屋の隅に掛った女の着物を目ざとく見つける。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
小沢「着物を取り戻しに来た」
針助「着物……?」
小沢「そうだ。そこに掛っているその着物だ。昨夜、ここから裸のまま飛び出した娘の着物だ。その娘は、着物がないために、宿屋の着物を盗もうとして、警察へつき出された。その娘を救うために、証拠にその着物がいるんだ」
針助「そんなこと、おれは知らん」
小沢「白っぱくれるのはいい加減にしろ、唖の娘に今日刺青をしたのは誰だ。この子供らを何のために裸にしているのだ。昨夜の娘は何のために裸のままここを逃げ出したのだ」
針助「うーむ」
[#ここから3字下げ]
と、うなっていたが、いきなり畳の上の針を手に取って、次から次へ小沢めがけて投げつける。
小沢、体をかわす。
針助、飛び掛って行く。
小沢、簡単に針助を投げ飛ばして押えつけ、次郎と三郎らに眼くばせして、針助を縛らせる。
針助の背中の刺青に、食い入るように、きつく紐が掛けられる。
[#ここで字下げ終わり]
(シナリオなら、ここでこの場面が消えるのである)

    氷の階段

 中之島公園を引き揚げた豹吉、亀吉、兵古帯のお加代、唖の娘その他青蛇団の連中は、やがて堂ビルの横を東へ折れて行った。
 その辺り――堂ビルの裏側は焼跡で、ひっそりと暗かったが、たった一つ、ぽつりと灯がついているのを見ると、豹吉は、
「ああ、あそこや、あそこや」
 と指した。
 ブルウスカイ(青空)というコッテエジ風の喫茶店兼料理店であった。終戦後大阪の町々に売出した喫茶店は、たいてい俄づくりのバラックで、荒削りのいかにもドサクサまぎれに出来たという感じの、味もそっけもうるおいも色彩もない店だが、ブルウスカイはやはりバラックづくりながら、コッテエジ風の建て方や、店の装飾に、アメリカ式の軽快なスタイルと仏蘭西趣味の色彩が採り入れられていて、戦前の豪華な喫茶店よりも、かえって垢ぬけていた。
 深夜、焼跡の中にぽつりと灯がともっているというのも、何か山の小屋のような感じで、豹吉はふっと心に灯がついた想いだった。
 一つには、一度だけこの店へ、
「まだ、店をひらいているだろうか」
 と、心配しながら来てみる
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