揮できないというわけではない。いや、接吻のことを言ってるのじゃない」
 クスリという笑い声が起った。
「――僕の言っているのは、言論の自由ということだ。君たち、喧嘩をするくらいだから、むろん双方とも言い分があるんだろう。どちらの言い分が正しいか。僕は第三者としてきいてあげるから遠慮なく言ってみたまえ」

 小沢は頬に微笑を浮べながら、言葉をつづけた。
「――諸君は僕をおせっかいと思うだろう。たしかにおせっかいだ。しかし、おせっかいにならざるを得ないのだよ。日本のことを心配するからだ。なるほど、他人のことは放って置けばいいのかも知れない。日本人は島国根性で、偏狭で、すぐ他人のことをとやかく言いたがる。小言幸兵衛が多すぎる。しかも僕は復員したばかしで、明日の米、いや、今日の米にも困る人間だ。他人のことは――いや、他人のことにかかわっている余裕すらない人間なのだ」
 そこで小沢はまた一同を見廻して、
「――しかし、げんに暴力沙汰が行われようとしているのを見ながら、放っても置けないじゃないか。だから、おせっかいを買うて出たわけだが、もし、諸者が僕の言ってることの十分ノ一でも判ってくれたら、とにかく、諸君の言い分を言いあったらどうだ。――誰からでもいい。どうだ君は……。何か言い分があるだろう。言ってみ給え!」
 小沢は隼団の龍太を指した。
 が、龍太は咄嗟に返答できず、あっけに取られながら、苦笑していた。
「君はどうだ……?」
 小沢は豹吉を指した。
「言い分……? そんなもん、ちゃんちゃらおかしくって、言えるか」
 豹吉はペッと唾を吐いた。
「君はどうだ……?」
「…………」
「君はどうだ……?」
「…………」
「君は……?」
「わては、何にもおまへん」
 と、亀吉は頭をかいた。
「君はどうだ……?」
「…………」
 そして、最後に唖の娘をさして、
「君は……? 言い分は……?」
「…………」
 無論、彼女はだまっていたが、お加代は傍から、
「あっても、この娘は言えやしないよ。この娘は唖だよ」
 と吐きだすように言った。
 小沢ははっとして、薄闇をとおして唖の娘の顔を見た。
「あ!」
 見覚えがある。
 梅田の食堂から刺青の男に連れられて行った娘だ。
 小沢はじっと見つめていたが、やがて一同の方を向くと、
「じゃ、みんな言い分がないんだね。言い分がないとすれば、喧嘩する理由がなく、喧嘩するのはくだらないじゃないか。無駄だよ。エネルギーの浪費だよ。よした方が気が利いている。よし給え……」
 と、畳みかけるように言った。
 龍太は微笑しながら、
「おい、豹吉、こんな奴おれ知らんよ。こんな邪魔が飛び入りしたら、もうおれは気が抜けてしもたよ。――どや、今夜はこれで幕ということにしようか」
 と言った。

 隼団の龍太に、もう喧嘩はやめようと言われて、豹吉は両の頬ににやっとえくぼを浮べながら、ペッと唾を吐き捨てると、
「そやなア。この演説屋の長講一席に敬意を表することにしようか。だいいち、おれは人をあっと云わせることは好きやが、売るのも買うのもあんまり好きやない」
 そう言った途端、ふと渡辺橋で釣をしていた男の言葉を想い出した。
 ――「食わん魚釣って売るつもりか」
 ――「……? ……」
 ――「変な顔をするな。喧嘩のことや」
 豹吉はいきなり呟いた。
「……あの男は死によったが、おれは死に損うた」
 龍太は拳銃をポケットに入れると、
「じゃ、引きあげよう」
 と、隼団の連中を連れて、引きあげかけた。
「一寸、待った!」
 と、小沢は呼びとめた。
「まだ何か用か」
「うん。――その拳銃、僕に渡してくれ」
「何……?」
「君たちは、いや、僕ら日本人は警察官以外拳銃を持つことは許されていない。しかも君たちがそれを持っていることは、君たち自身ばかりでなく、日本人全体に迷惑が掛かる。――渡して行ってくれ」
「………」
「僕は君が拳銃を持っているのを、黙って見てるわけにはいかないんだ。日本人として見るにしのびないのだ。渡して行ってくれ。それとも渡すのがいやだと、云うんなら、僕は、くどいようだが、もう一度君たちの前で……」
 と、小沢はちらと豹吉の顔を見て、
「――演説屋の長講一席をくりかえさなくちゃならない」
 龍太はだまっていた。
 すると、兵古帯のお加代はいきなり、小沢の手に自分の拳銃を渡して、
「あんたに渡すのじゃないわよ。日本人全体の迷惑になる――っていう、あんたの言葉に渡すのよ」
 と、言った。そして、龍太に、
「――あんたも渡したら、どう?」
「うん」
 龍太はいやいや返事して、未練たらしそうな顔で、小沢に拳銃を渡した。
「ありがとう。それでこそ君たちは……」
「日本人だと言うんやろ。おだてるのはやめてくれ」
 さア行こうと、隼団が引きあげ
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