と、案の定灯がついていて、ほっとした――というよろこびのせいだった。
 それというのも、自分の生命を救ってくれた青蛇団に御馳走してやりたかったし、そしてまた、ブルウスカイでのささやかな饗宴が、もしかしたら豹吉の最後の饗宴になってしまうかも知れなかったからだ。
 なぜなら、これから雪子を救い出しに行って、そのまま帰って来られないかもわからないのだ。
 それだけになお一層、焼跡の中のブルウスカイの灯は、豹吉の人恋しい心をしびれるように甘く、なつかしく、温めた。
「珈琲出来る……?」
 扉を押してはいると、そう豹吉はきいて、
「――ああ、じゃ、珈琲と、それから何か……、サンドイッチでも……」
「おビールは……?」
「そうだな」
 と、豹吉はちょっと考えた。
 最後になるかも知れない饗宴に、ビールでも飲みたいところだった。しかし、いかなる時にも冷たく醒めていたいのが、豹吉の掟だった。何ごとによらず、陶酔したり、われにもあらず昂奮したり、驚いたりすることは、豹吉の掟に反していた。
「――まア、よして置こう」
 珈琲とサンドイッチが運ばれて来ると、豹吉は一寸口をつけただけで、いきなり起ち上った。
「みんな、ここで待っていてくれ、おれ一寸行って来る」
「どこへ……?」
 行くのかと、お加代がきいた。が、咄嗟に答えられなかった。さすがにお加代の手前、雪子を救いに行くとは言えなかったのだ。
 豹吉はまるでそのあたりの闇市へ煙草を買いに行くような顔で、扉を押すと、暗がりの中へ出て行った。

 雪子が連れられて行った道順から考えて、豹吉は雪子が留置されているのは、S署にちがいないと思っていた。
 S署――差し障りがあってはいけないから、わざと頭文字だけにして置くが――S署は大阪の表玄関にある警察署である。いわば大阪の代表的な警察署だ。
 その警察署へ、単身乗り込んで行って、雪子を救い出す――という計画、いや思いつきは、むろん向う見ずであった。二十歳の単純な頭が思いついたにしても、呆れるくらい乱暴である。
 もっとも、さすがの豹吉も単身では無理だということは判っていた。
 せめて、青蛇団の一党を率いて行った方が……ということも考えた。
 しかし、お加代の手前があった。昼間雪子に惚れているのだと、はっきりとお加代の前で言った――その手前、雪子を救い出すから、力を藉してくれとは、言い出し兼ねたのだ。
 照れくさいのである。それに、一人でやるところに、豹吉はいかにも豹吉らしいやり甲斐を感じていた。
 もっとも、豹吉は向うみずではあったが、莫迦ではなかった。
 だからS署の前まで来た時、さすがにいきなり飛び込んで行くような、滅茶苦茶な真似はしなかった。
「どうしたら、最も効果的に救い出せるだろうか」
 と、立ち停って考えてみるだけの、思慮分別は持っていた。
 S署の玄関は、警官が出たりはいったりしていた。
 制服ではないが、玄関の石段を登って行く歩き方で、
「私服だな」
 と、すぐ判るものもいた。
 真青な顔で、泡を食いながら、ソワソワと石段を登って行くのは、掏摸にやられて届けるのか、それとも駅で置引に荷物を盗まれたのだろうか。
 シャツをズタズタにして、顔中血まみれの男が二人、昂奮しながら、警官に連れられてはいって行くのは、いわずと知れた喧嘩だ。
「なるほど、喧嘩というやつは見苦しいわい」
 と、豹吉は呟いた。
 棍棒を持った若い警官が五、六人、あわただしく出て来て、駅の方へかけ出して行った。
 どんな事件だろう。
 若い女が泣きながら石段を駈け登って行く。
 何を訴えに行くのだろう。
 夜は次第に更けて行った。
 いかにも深夜の警察署らしい、そのS署の玄関の往来を豹吉はしばらく新聞記者のような眼で観察していたが、やがて、いらいらした声で、
「いつまでも、こないしていても仕様がない」
 と呟いた。
 何か大事件が起って、警察署の全員が出動した――その隙をねらって、雪子を救い出すという虫の良い考えにも、もう頼っておれなかった。
 豹吉はペッと唾を吐き出した。
「どうにでもなれ!」
 唾と一緒にその言葉を吐き出すと、豹吉は玄関の階段を、固い姿勢で登って行った。

 S署の玄関の石段を、固い姿勢で豹吉は登って行った――と、作者は書いたが、たしかに警察署の玄関へはいって行くことは、署員か御用商人か、新聞記者か、それとも警察の関係者以外にとっては、何か薄気味悪いものである。
 脛に傷を持たなくても、やはりいい気持のものではない。
 戦争中にくらべると、警察というものの持っている感じも、随分圭角がとれて来たし、まして、大阪の警察は例えば闇市場の取締り方一つくらべてみても、東京のそれよりもはるかにおとなしいというものの、それでもさすがに何か冷やりとした冷たさは、依然とし
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