ようとすると、その刺青の男も娘と一緒にそこで降りた。
作者はここでいささか註釈をはさみたい。
――偶然というものは、ユーモアと共に人生に欠くべからざる要素である。
ユーモアのない人生なんて、凡そ糞面白くないものだが、同時に、人生から偶然というものを取り除いてしまえば、随分味気ないことになるだろう。
しかも、偶然の面白さというものは、こいつが続き出すときりがないという点にある。
余り上品でない比喩を使って言えば、偶然というやつは、まるで金魚の糞のようにゾロゾロと続くものなのである。――
例えば……。
小沢十吉がたまたまはいった梅田の闇市場の食堂で、刺青をした男が唖の浮浪少女と連立って出るところを目撃した――という偶然は、ただそれだけでは大したこともないと言えるが、やがて乗った市電の中に、その二人も乗り合わせていたという偶然と折重ってみると、既に何となくただごとでなくなって来る。
少くとも小沢は、何かしら得体の知れぬ予感を感じて、どきんとした。
果して、刺青の男と唖の娘は、上本町筋を真っ直ぐ北へ行くかと思うと、八丁目の外語学校の前を急に東へ折れ、上ノ宮中学の前を通り細工谷の方へ歩いて行くではないか。
このコースは昨夜小沢が土砂降りの雨の中を歩いて行ったコースであった。
そして、今小沢はその同じコースを辿るのである。
自然、小沢はその二人のあとを尾行するといった形になったが、勿論、尾行するつもりで歩いて行ったのではない。
小沢はただ細工谷町の友人を訪ねるために、その道を歩いているというに過ぎなかったのだ。
ところが、刺青の男と唖の娘が、昨夜小沢が雪子と出会った四ツ辻まで来て、いきなり北へ折れて行くのを見ると、
「おやッ!」
と、思って、友人の家へ行く道を急に変えて、その二人のあとを尾行する気になった。
刺青の男は、半町ばかり行くと古風なしもた家の前で立ち停った。
そして、手真似で唖の娘をうながすと、その家の中へはいってしまった。
ひそかに尾行していた小沢は、何気なくその家の前を通り過ぎざまに、ちらと標札の文字を見上げた。
「横井喜久造……」
その名前を記憶の中に入れて、小沢は四ツ辻までひきかえした。
そして、そこから二丁ばかり東へ行くと、友人の家があった。
「伊部恭助」
稍左肩下りの、癖のある、しかし達筆の字で書かれた標札を見た途
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