高い!」
 と、思う前に、小沢はとにかく外で米の飯が食えるという意外な発見に、気持が浮き立っていた。
 十五円という金がこの国の勤労階級の収入の、殆ど一日分――いや、それ以上の大金だということには、小沢は暫らく気がつかなかった。
 その食堂に、どうして白米があるのか、毎日何百杯かのカレーライスを売るだけの米があるのか――ということも、考えなかった。
 ただ、米があるということに安心していた。
「大阪へ帰れば、米は食えないぞとおどかしやがったが、なんのことだ、ちゃんとこうして、あるじゃないか」
 食糧危機だなんて言葉は嘘なんだな――と思いながら、運ばれて来たカレーライスを食べていると、黝ぐろいむくみがむくんで、水が引いたように痩せおとろえた十六、七の薄汚い少女が、垢と泥が蘚苔のようにへばりついている跣足のまま、フラフラとはいって来た。
 そして、中風やみのようにぶるぶる手足をふるわせながら、しょぼんと立っていたが、ふと小沢の足許に二、三粒の飯粒が落ちているのを見るとあっという間にしゃがんで、その飯粒を口に入れた。
 小沢は思わず顔をそむけた。
「昔は乞食もこんな浅ましい真似はしなかった。やっぱり日本は哀れな国になってしまったのか……」
 外で米の飯が食べられる余裕があったのかという咄嗟の安心感は、簡単に消えて、恥も外聞も見栄ももうこの国の人間は失ってしまったのかと情けない――というよりむしろ腹が立った。
 しかし、さすがにその少女があわれで、何か食べさせてやろうと思った途端、隅の方に坐っていた男が、ちらと鋭い眼を輝かせて、
「おい!」
 と、その少女を呼んだ。
「…………」
 娘はだまって振り向いた。
 呼んだのは、四十五六の角刈の男だった。
 和服の着流しに総しぼりの帯、素足に革の草履――という身なりは、どこか遊び人風めいていたが、存外律義そうな顔立ちで、
「腹が空いてるのンか」
 と、きいた声は、女のように優しかった。
「…………」
 娘は答えず、きょとんとした眼で男を見ていた。
「食べたいか……?」
 と、男はにぎり寿司の皿を指した。
「う、う、う……」
 娘はうなずき、うなずきながら鳥の啼くような声を、痩せた喉から、
「う、う、う……」
 絞り、絞り出した。
「なんや、唖か」
 男は自分の耳へ、女のようにきゃしゃで美しい人指し指を当てた。
 耳は聴こえるのかと
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