った。
「ありがとう」雨の音で消されてしまうくらいの小さな声で言って、娘は飛びつくように、レインコートにくるまってしまうと、ほっとしたようだったが、しかし、なお恐怖の去らぬらしい険しい表情を、眉に見せて、
「…………」
小沢にすがりついて、ガタガタ顫えていた。
言葉がないだけに、一層必死の気持が現れているようだった。
「…………」
小沢も口は利かず、咄嗟に身構える姿勢で、その娘が来た方向へ、眼を光らせた。
そして、暗がりの中に不気味に光っている雨足を透して、じっと視線を泳がせていると、ふと黒く蠢いた気配がした。
はっと思った。
が、気のせいかも知れない。それとも、雨のせいだろうか……。
黒く蠢いたように思ったものの、一向に動き出して来る気配はなかった。
「……追われているわけでもないんだな」
そう呟いた途端、角の家の門灯がすっと消えた。
雨はますます激しくなってきた……。
小沢はどきんとした。
たった一つ点っていたその角の家の門燈が、突然消えたのには、何か意味がありそうだった。
あるいは偶然かも知れない。が偶然にしても不吉な偶然だと思った。
よしんば雨のための停電にせよ、まるでわざとのような停電のような気がした。
しかし、べつに何ごとも起らなかった。いきなり誰かが飛び掛って来そうな気配もない。
してみれば、ただ、門燈が何となく消えたというに過ぎなかったのだ。が、やはり不気味な予感は消えなかった。
とにかく、事情を明らかにすることだ。
「どうしたんです、一体……?」
小沢は自分にしがみついている娘に、そうきいた。
「…………」
娘は答えなかった。
「辻強盗に剥がれたんですか……?」
一糸もまとわぬ裸から、想像できるのは、わずかに辻強盗ぐらいなものだった。
小沢は外地から復員して、今夜やっと故郷の大阪へ帰って来たばかしだが、終戦後の都会や近郊の辻強盗の噂は、汽車の中できいて知っていた。
「…………」
娘はだまって首を振った。
「じゃ、どうしたんです……?」
娘はそれには答えず、
「早くどっかへ連れて行って下さい」
それもそうだ。一刻も早くここは立去った方が良さそうだと小沢はうなずいて、歩き出した。
娘は小沢が着せてやったレインコートにくるまっていたが、やはりその下の裸を気にしたような歩き方でついて来た。
「家はどこ……?
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