「…………」
 やはり娘はだまっていた。
「云ってくれないと、送って行きようがないじゃないか」
 小沢はふと強い口調になった。
「何にもきかないで下さい」
 娘はうなだれていた顔をひょいと上げて、小沢の顔を見上げた。
 暗がりではっきり見えなかったが、娘の顔が半泣きらしいことは声で判った。ずっと家並みは続いていたが、停電のせいだろう、門燈は消えて、洩れて来る一筋の灯りもなく、真っ暗闇だった。
「この先に交番があった筈だが……」
 と、小沢がふと呟くと、娘はびっくりしたように、
「交番へ行くのはいやです。お願いです」
 と、小沢の腕を掴んだ。
「じゃ、どこへ行けばいいの……?」
「どこへでも……。あなたのお家でも……」
「だって、僕は宿なしだよ。ルンペンだよ」
 小沢はひょいと言ったが、さすがに弱った声だった。
「宿無しだよ。ルンペンだよ」
 と、語呂よく、調子よく、ひょいと飛び出した言葉だが、しかしその調子の軽さにくらべて、心はぐっしょり濡れた靴のように重かった。
 小沢は学生時代、LUMPEN(ルンペン)という題を出されて、
「RUMPEN とは合金ペンなり」
 という怪しげな答案を書いたことがあるが、ルンペンの本来の意味は、ボロとか屑とかいう意味である。
 つまり、宿なし、失業者、浮浪者といった意味のルンペンとは、人間のボロ、人間の屑というわけであろう。
 宿がないということは、屑であるということだ。それほど、宿なしは辛いのだ。
 ところが、今、小沢はその辛さを痛切に味わねばならなかった。
 実は、この細工谷町で異様な裸の娘を拾ったというのも、小沢が宿なしだったからである。
 小沢は両親も身寄りもない孤独な男だったが、それでも応召前は天下茶屋のアパートに住んでたのだから、今夜、大阪駅に著くと、背中の荷物は濡れないように(また、雨の中を背負って行く邪魔でもあったので)駅の一時預けにして、まず天下茶屋のアパートへ行ってみた。
 しかし、跡形もなかった。焼跡に佇んで、途方に暮れているうちに、ふと細工谷の友人のことを想いだした。
「そうだ、今夜あそこで泊めて貰おう」
 そう思って、やって来たのだが、裸の娘を拾った今は、もう頼って行けそうにもなかった。
 深夜、停電している家へ、そんな娘を連れて行って、泊めてくれとは、さすがに云えなかった。自分ひとりなら、無理も云える
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