か情けなかった。
「――好きな男と……?」
「好きな男なんかあれへん」
「じゃ。嫌いな男とか……?」
「嫌いな男もあったわ」
「嫌いな男とどうしてそんなことをするんだ?」
 われながらおかしい位、むきになっていた。
「食うためよ。あたしの罪じゃないわ」
 寝る前とは打って変ったように、娘はズバリと言ってのけた。
「じゃ、君は……?」
 ちょっと躊躇したが、思い切って、
「――僕に体を売るつもりか」
「違うわ。あんたにはお金なんか貰えんわ。あんたはあたしを助けてくれたでしょう。だから……」
「だから、どうだっていうんだ」
「だから、あんたが何をしてもかめへんと思ったのよ」
「そんなお礼返しは真っ平だ。――だいいち僕がそんなことをすると、思ってるのか」
「だって……」
 と、娘は甘えるように、
「――男って皆そんなンでしょう……?」
「そりゃ君の知ってる男だけの話だ」
「…………」
「莫迦だなア、君は……。僕が好きでもないのに、そんなことをいう奴があるか。さアもう寝よう」
 小沢はくるりと娘に背中を向けた。娘の商売が判ってしまうと、かえって狂暴な男の血が一度に引いてしまったためか。それとも一種のすねた抗議の姿態だろうか。
 娘は暫くだまって肩で息をしていたが、いきなり小沢の背中に顔をくっつけて、泣き出した。
「何を泣いてるんだ……?」
 小沢はわざと冷淡な声を出しながら、窓の外の雨の音を聴いていた。……

    悪の華

 午前六時の朝日会館――。
 と、こうかけば読者は「午後六時の朝日会館」の誤植だと思うかも知れない。
 たしかに午前六時の朝日会館など、まるで日曜日の教室――いや、それ以上に、ひっそりとして、味気なくて、殺風景でいたずらにがらんとして、凡そ無意味な風景であろう。
 しかし、午前六時の朝日会館を描くことは、つねに無意味だとは限らない。
 例えば、そんな時刻、そこには鼠は走り廻っても、猫の子一匹もいない筈だのに、時ならぬ、場違いの鼾《いびき》が聴えて来たとすれば、もはや無意味ではあるまい。まして月並みではない。
 鼾は公演場の休憩室の隅にあるソファから聴えていた。
 いつ、どこから、どう潜り込んだのか、そのソファの上で、眠っている人間がいるのだ。
 宿なしにしては気の利いた寝床だ。洒落ている。洒落ているといえば、宿なしとは見えぬくらい、洒落た服装である。
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