が、いま私が傘を借りて来た名曲堂の主人と同じ人であることを想ひだしたのである。もう十年も前のこと故、どこかで見た顔だと思ひながらにはかに想ひ出せなかつたのであらうが、想ひ出して見ると、いろんな細かいことも記憶に残つてゐた。以前から私は財布の中にいくらはいつてゐるか知らずに飲食したり買物したりして、勘定が足りずに赤面することがしばしばであつたが、矢野精養軒の主人はそんな時気前よく、いつでもようござんすと貸してくれたものである。ポークソテーが店の自慢になつてゐたが、ほかの料理もみな美味《うま》く、ことに野菜は全部|酢漬《すづ》けで、セロリーはいつもただで食べさせてくれ、なほ、毎月新譜のレコードを購入して聴かせてゐた。それが皆学生好みの洋楽の名曲レコードであつたのも、今にして想へば奇《く》しき縁ですねと、十日ほど経つて傘を返しがてら行つた時主人に話すと、あゝ、あなたでしたか、道理で見たことのあるお方だと思つてゐましたが、しかし変られましたなと、主人はお世辞でなく気づいたやうで、そして奇しき縁といへば、全くをかしいやうな話でしてねと、こんな話をした。
主人はもと船乗りで、子供の頃から欧洲航路
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